シリエ・トク北の先住民が「地の果て」と呼んだ知床は我国最後の秘境と言えようか。
2005年、白神山地、屋久島に次ぎ国内3番目の世界遺産となる。道が無く、熊がいるため守られていると云われる自然には、エゾ鹿、シマフクロウ、オジロ ワシ、キタキツネ等が生息する。年間200万人を超える観光客が訪れているが、そのほとんどは半島の西側(オホーツク海側)のウトロを中心にしており羅臼 側は観光客とは無縁である。
かつてウトロ側を1回、羅臼側を4回訪れた坪井は羅臼側の無人の浜に強く惹かれる。
小学生の頃から「ロビンソンクルーソー」「15少年漂流記」「家族ロビンソン」等の本を夢中になって読んでいた。いつか自分も無人島でサバイバル生活をしてみたい・・・。
長じてからその様な思いは当然ながら意識の底に埋没していた。
2013年10月黒部川下ノ廊下で滑落事故を起こし骨盤骨折。ヘリコプターで信州の病院に運び込まれ、当初は担当医(田舎の凡庸 な医師であった)から一生車椅子の可能性もほのめかされる。治療としてはコルセットで固定して3ヶ月程寝ているだけと、誠に消極的な事を言う。1週間ほど で茅ヶ崎の病院に移ると、優秀な整形外科の先生が担当医となり、即手術。ピンを5本打ち込み、それを結束して骨折部を合わせ自然接合を待つと説明を受け る。真に分り易く説得力があった。翌日の手術となり、術後の第一声が「理論的には今日からでも歩けます。後はしっかりリハビリをして下さい」であった。
積極的にリハビリに取り組み、事故後2ヶ月での退院となる。その間ベッドの上では色々な事を考える。特 に強く思ったのは元気で過ごせる残り時間についてである。自分は常々棺桶に片足突っ込んだ時に「自分の人生はそこそこだった」と思える様に日々を生きたい と考えて来た。退院して復帰出来たら優先順位を良く考え悔いを残してはいけない。そこで急浮上して来たのが「無人島サバイバル生活」である。ムーーー 魅 力的なテーマである。しかしながら問題は山ほどある。
全国に無人島は数多いが生活可能な場所となると限られる。ここで過去4度訪れた事のある知床の化石浜に思い至る。あの無人の浜なら理想的かも知れない。廃 屋となってから20年以上も経つ漁協の施設(鉄骨モルタル造)内にテントを張れる。そばに沢水が流れ、流木が沢山ありマキに困らない。近くの旧波止場、岩 礁地帯では獲物が獲れそうである。
本気になって検討を始める。約1年の時間をかけて計画を練り込んだ。
自分なりに充分と思われる準備をした。トレーニングもした。時は満る。舞台は整った。



館の入口

7月3日、晴れ、相泊から化石浜へ5時間 3:30起床、知床は日本の東端にあるせいか3時を回ると明るくなって来る。
茅ヶ崎より1時間位は早いであろうか。昨夜からの雨は2:00頃に止む、助かった。ずぶ濡れのテントを畳み、熊鈴を鳴らして出発する。30分程歩くと電信柱が無くなり、いよいよ文明果てる世界遺産に突入である。
大きな岩場に行き当たり左にロープがある。
ここだ、第一難関である観音岩の高巻である。約40mの直登だ。最初はゴツゴツした岩が手がかりとなる。半分以上登るとロープ以外に手がかりは無い。両手でロープを掴む。荷が重い。
雨上がりの地肌がヌルヌルしている。
ズルッ足が滑る。全重量をロープに託す。ズルッまた滑る、肝を冷やしながら何とか頂きに立つ。側に大量の熊の糞・・・
いよいよ彼等の領域である。首から下げた笛を吹く。第二難関の崖下のヘツリ、第三難関の三段跳び(普段は海中に没していて干潮時にだけ水面に出る数個の 岩)も無難にこなし、広い岩礁地帯に出る。前方に廃棄された番屋(漁師の作業小屋)が見える。化石浜はもう直ぐだ。
9:00化石浜に着く。テント、フライ、銀マット、エアマット、シュラフを乾す。石3個でかまどを作り、2食分の飯を炊く。出来はまずまずである。塩昆布 で食べる。20年以上前に廃屋となった漁協の施設は、1Fの窓ガラスが割れ、屋内に散乱している。割れた窓から雨が吹き込むのか、窓際の床は水浸しであ る。中央部を掃除してテントを張り虫除けを吊るす。館の中央にも虫除けを吊るし、入り口に風鈴(熊除け)を吊るし鹿角を飾る。雨天に備えて屋内にもかまど を作る。流木を集め、ノコギリで切り、ナタで割り乾す。干し物用に細引きロープを張る。
忙しい一日が終わり、夕食は昼に炊いたご飯に塩昆布である。一杯飲みぐっすりと寝る。

7月7日、曇り、魚をゲット 4:00起床、お湯を沸かし紅茶と乾パンの朝食。この地の特性なのか朝はガスが多い。その日が晴れるのか、曇りなのかしばらくははっきりしない。今朝は波 が高いので魚介類捕獲ネットの点検を午後にする。ややや何か入っている。30cm近いクジメ(アイナメ科、アイナメより浅い所に住む)である。館に戻りウ ロコを取り、腹を割くとカニが出て来る。昨日餌としてセットしたものだ。夕食はクジメの塩焼きである。しみじみと美味い。夕方から強風となる。館内のテン トが大揺れである。外で野営していたら大変であった。


活躍する道具

魚貝捕獲ネットで大漁 金網は長さ30㎝

7月10日、晴れ、デカ魚ゲット 朝食後のネット点検、なーんと45cmオーバーの魚が入っている。ウロコが無く、顔面にはイボイボがあり、まるでエイリアンである。これがグネグネとネッ トの中で暴れている。どーするんだ、とてもクジメの様に手で掴む気にはならない。持っていた手網をネットの中に入れエイリアンを外に出す。グネグネ、ドタ ドタと暴れ、小さな手網から脱走しそうである。手網の上から昆布でフタをして、押さえつけながら館まで運ぶ。さて処理である、坪井は釣り歴40年、大抵の 魚は捌いてきたが、このエイリアンだけは・・・。
まず頭を落してしまう。あのイボイボの顔さえ無ければ普通の魚である。2枚に下ろし、半身は塩焼き用 に、残りは味噌煮用にと分ける。見てくれの悪い魚は美味い、と云うから期待である。出来た、どれ味は? ウマ―イ。淡白でありながら旨味がある。ウツボの 味に近いかなー(ウツボは美味しいのであるが高知人しか食べない様である)。続けて作った味噌煮も上出来である。残念ながらこれで味噌、日本酒が無くな る。


熊の巨大な足跡

7月17日、晴れ、ウニをゲット 昨日収穫して茹でておいた花咲カニを解体。米にツブ、シッタカ、鶏がらスープの素、乾燥ニンニク、塩を入れて炊き込む。もう言う事はありません的な美味し さのパエリアである。ネットの点検、収穫なし。波打ち際にあった海鳥の死骸の一部をナイフで切り取りネットの餌にしてみる。館から30m程の砂地に熊の巨 大な足跡が、その先50mには大量の糞。昨日は無かったので昨夜~今朝未明と云う事になる。
気をつけよう。右浜に行きウニ、シッタカ、ツブをゲット、パエリアが美味しかったので、明日の3食分を作り置きする。ネットで魚が獲れなくても、シッタカ、ツブ、ウニ、カニ等で何とかなりそうである。
天気が良いのでズボン、シャツ、パンツ、靴下の洗濯、身体の清拭、シャンプーをする。

7月30日、晴れ、児童33人 10時頃急に浜辺が賑やかになる、子供達が大勢歩いて来る。「知床探検隊」と云い地元羅臼小学校、羅臼中学校、春松小学校、春松中学校の生徒計33名(小学生は3年以上の希望者)が5泊6日の行程で岬を往復する。
それに先生、父兄、サポーターが37名、総勢70名の大部隊である。毎年行っており今年で33回目であると云う。父兄、サポーターの大部分は船で今日の野営地(モレイウシ川)に先回りして、テント設営、炊事、ドラム缶風呂の準備等を担っているようだ。


海老と貝のパエリア

いくつもに別れた小集団が、途切れ途切れ1時間に渡って通り過ぎる。壮観である。全国にはキャンプ、登 山、長距離歩行など、生徒を鍛えるため様々な行事が行われているが、この規模大きさは全国一ではないだろうか。しかも33年も続けて来た、関係者の熱意に は頭が下がる。(茅ヶ崎に帰ってから、応援の手紙を出すと、春松小学校の佐藤玲子校長先生から丁寧な返事がある)


以上は1ヶ月に及ぶ知床サバイバル生活の抜粋である。食料確保に追われる毎日が続いたが楽しめた。魚の他にツブ、貝、ヤドカリ、花咲ガニ、毛ガニ、ウニ、昆布、漂着した玉ネギ等何でも食べた。60kgの体重が1ヶ月後は52kgとなった。  

「夢は達成してこそ夢である」
「達成しない夢は単なる空想である」
72才、一人の男の夏は終わった。