35周年記念海外山行  インカトレイルを越えてマチュピチュへ

インカトレイ⓪

天空都市・マチュピチュを望む

山行情報・担当者

ランク CーCー10:00  参加者 11名
山行担当 CL 2782 SL 2654、3080
記録担当:文責 2782 写真 2654

コース

インカトレイル・ルートマップ

インカトレイル・ルートマップ

 旅程概要

旅程概要

旅程概要

インカトレイル(詳細)

インカトレイル(詳細)

インカトレイル(詳細)

山行記

みろく山の会創立35年を記念して古代インカの遺跡を訪ねながらインカトレイルを歩きマチュピチュに至る山行を計画した。2017年11月1日に成田を出発し同12日帰着する12日間の旅だ。 

クスコを首都として隆盛を極めたインカ帝国は一時アルゼンチン北西部まで版図を広げた。広大な領地を統治する重要な手段の一つはアンデスの山々に張めぐらされたインカトレイルだ。チャスキと呼ばれる飛脚は皇帝の指示・命令を携えて、この道を駅伝ランナーのように繋ぎ、数日で全土に伝えたという。  

ペルーと言えば地球の裏側、アンデス山中にある山国、インカ帝国、フジモリ元大統領等が思い浮かぶが、どちらかというとなじみの薄い国である。そうした中、テレビ雑誌等で紹介される世界遺産マチュピチュとインカトレイルは高齢トレッカーのロマンと好奇心をイヤでも掻き立て、一度は見てみたい、歩いてみたいと思わせるようになった。 

クスコからマチュピチュまでのインカ道はロイヤルロードと呼ばれる。この道を4日間(テント泊)かけて険峻な山々を超え、数ある遺跡を訪ねながらマチュピチュに着き、古代インカ天空都市をじっくり見るつもりだ。今回も手作りの旅を目指し、現地での交通、ガイド、ポーター、テント等の手配を除いてあとは自前で準備した。 

クスコからマチュピチュに至るトレイルは秋口の広河原から白根三山を縦走するコースに近い。標高差1,700m、ゴロゴロ石と階段の登山道、急な登りと下り、朝方の寒さ、ただ最高地点が4,200mとなることが違うところか。 

旅の準備は高山病への備えと20時間超の空の旅とそれに続く最長10時間の歩行に平均年齢67歳が耐えられる体力作りだった。富士山、北岳、丹沢三峰、丹沢東尾根で訓練を重ねスタミナ作りと高度順化に努めた。出発前には「これなら何とか・・」の感触を持てた。 

さて、いよいよ本番、ウルバンバを出て4,200mの峠を目指す、コカの葉(筋肉増強剤として一般利用)を口に含み意気を高める。 

 ガイドはラウルという34歳、5年制大学卒の端正な顔立ちをしたケチュア系の男性だ。次々に現れる遺跡、急峻な山々、そして植生の説明を丁寧にしてくれる。当時の天文学、建築学、土木工学、農業技術特に品種改良等のレベルがいかに高かったか、皇帝がいかにして広大な国を統治したかを聞くと、彼のインカ文明への誇りと思いが伝わってくる。
1530年スペインによる侵略が始まり、クスコ他の町は根こそぎ破壊され、宗教を否定され、金品を奪われ、多くの人が虐殺された。壮大なインカ文明が侵略者の銃器の前にいとも簡単に破壊された。
人々は、聖なる都市マチュピチュを守るためにウルバンバ川に架かる橋を落とし、インカ道を崩し、侵略者を遠ざけた。そうして残ったのが現在のマチュピチュ遺跡だという。 

この旅の当初の目的はインカ道を歩くこと、マチュピチュの遺跡を見ることだったが、ガイドの案内を通して、当時、インカ帝国を支え、そして征服された原住民ケチュア族の無念な気持ちが伝わってくるようで更に感慨深いものになった。 

旅の前半は険しい山歩き、途中軽いバテ、腹痛等些細なトラブルはあったが11人は支えあい最後まで歩いた。旅の後半は買い物と市内観光、スリル満点のサンドバギー、セスナからの地上絵等々11名の嬌声と笑いが溢れた。結果的に大感激、大満足の旅を終えることが出来た。 

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