鎌倉山道・枝道・ヤブ道探訪Ⅱ-④ 山崎・深沢方面

峰坂の庚申塔

山行情報

日時:12月6日 天候:晴れ  ランク:B-B-6:00  参加:24名
山行担当:AD1855 CL2751 SL1876・2679
写真:1876・2751 記録・文責:2751

コースタイム

大船駅南口 9:00…9:50 天神山・北野神社…江の島道道標…10:50 富士塚…11:30 鎌倉中央公園 11:55…12:45 御霊神社…梶原父子墓所…神明温泉…13:30 洲崎古戦場跡…上町屋天満宮…宮前御霊神社…旧江の島道…15:05 鎖大師・江の島道道標…手広・峰坂(谷戸の切通し見学)…15:50 西鎌倉

ルート図(部分)

 

山行記

今回はシリーズⅡ期の4回目として、「中世の古道・旧江の島道」山崎・深沢方面を訪ねた。

大船駅の南西に位置する山崎の鎮守 北野天神(天神山)を北側の山道から辿り、本殿に着く。
応永十二年(1405)銘の金剛界四仏が浮彫されている宝篋印塔を見学。
本殿右脇から天神山へ向かう。
道筋には、弘法大師が浮彫された石塔が何基も倒れている。

旧京急道(湘南モノレール)の山裾にはやぐらが見られる。これは廃寺 宝積寺のものと思われる。
山内方面に向かう途中の「江の島道道標」(文化八年:1811)から富士塚を目指す。
江戸時代、民衆の間に盛んに行われた「富士講(富士山登拝)」があった。
各地に富士山に見立てた塚を築き、ミニ富士山登拝が流行したという。
「仙元大菩薩」の碑と出羽三山の登拝供養塔も立っている。

再び道標のある江の島道に一旦下り、中央公園経由で寺分の住宅地を通り抜け、駒形神社へと向かう。
富士山の眺められるところから、「富士浅間神社」の石塔が立つ。

「寺分」地名由来のかつての大慶寺を建立した大工が住んでいたという大工谷戸(深沢中学校)への坂道を登り、梶原氏にゆかりの地である御霊神社、梶原景時一族の墓(深沢小学校校舎裏)をみる。
 *見学には学校の許可を要する
御霊神社の五輪塔の一つは、鎌倉幕府滅亡の翌年のものである。
その後、洲崎合戦の供養塔が集められ、梶原景時が休んだという「やすんば」の字を持つ休場山 等覚寺や、古戦場跡石碑、泣塔を見る。

途中で硫黄臭のある「神明温泉」を通り、市営住宅上から旧国鉄跡地(市役所移転候補地)の洲崎合戦場を眺める。
合戦の人馬の声・音、流された血、鎌倉幕府最後の執権・赤橋守時の最後の壮絶な死を想像する。

その先、富士塚から繋がっていた古道に出て、天満宮から暴れ川であった柏尾川を渡り、鎌倉権五郎景正に関わる兜松、宮前御霊神社、更に景正の先祖に繋がる村岡一族の墓を通る。

平良文の孫・忠道の館があったとされる古館橋を渡り、魁力ラーメン店脇の旧江の島道を辿る。
茅葺屋根の先の切通し(今は通行止め)手前まで行き、少し戻って峰坂(女坂)から鎌倉山への風情の良い道筋を上り詰めると、鎌倉に僅かに残された美しい谷戸に出る。
道に残された庚申塔は、多くの江の島詣での人々を見てきたことであろう。
道の片側は住宅地で削られている。

峰坂から下った車道からは、かつての切通し(男坂)が金網から覗くことが出来る。
その先の「鎖大師参道」のトンネル道は土砂と木々に隠され、気付かなければ通り過ぎてしまう道である。

 

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