1. 三浦アルプス開拓の歴史
今では県内外から多くの人が訪れる三浦アルプスですが、その歴史は比較的新しく、山域を縦横に網羅する登山道が拓かれたのはわずか数十年前のことです。二子山や仙元山周辺に限っては、かなり以前からハイキングコースが整備され多くのハイカーに親しまれてきましたが、それ以外の区域になると大変複雑な地形なため、足を踏み入れても迷いやすく、地元の人達のあいだでは「入山しない方が良い」と、言われるほどでした。
1984年に、みろく山の会の高橋昌嗣、木村忠美会員が仙元山ハイキングコースから森戸川南面の丘陵地帯を踏破し二子山ハイキングコース、阿部倉山へ抜け るコースの開拓にあたりました。二人は1/25000の地形図をたよりに忠実に稜線をたどりました。当時はヤブが生い茂り、大変なヤブこぎをよぎなくされ ました。方面が分らなくなると木によじ登り、尾根のつながりを確認するという状況でした。1回目は通称乳頭山まで行きましたが、森戸川源流へ迷い込み失敗、2回目に二子山まで行き着き、三浦アルプスの基本コースが開拓されました。葉山小学校~観音塚~南尾根~乳頭山~東尾根~北尾根~馬頭観音~二子山(上・下)~阿部倉山という横U字型コースでした。
1985年4月6日に、みろく山の会の山行で高橋昌嗣リーダーにより「三浦アルプスお花見山行」という名称で、はじめての山行が行われました。初期の三浦アルプス山行には、ヤブこぎのためゴーグル持参となっていました。以後、乳頭山から田浦へ抜けるコースや畠山、塚山公園へ抜けるコ-スなどが次々に開拓されました。
当初、「三浦アルプス」という名称はみろく山の会の中だけでの通り名でしたが、コースが徐々に整備され、多くの人によって歩かれるようになってからは、この山域の通称として広く使われるようになりました。多くの人の入山により、登山道もはっきりしたものになり、一部のハイキングコースでは道標も整備されてきました。道標のない山道にも、要所要所に、逗子市、葉山町消防署により位置確認ナンバーの取り付けが行われました。本来は山火事発見の際の位置通報用に設置されているものですが、登山者には現在位置確認の有力な標になっています。