第三回日本横断夢の縦走⑬富士山(村山古道)~田子の浦海岸 (2016.10.8~9)
2015年8月21日、日本海・早月川河口で汲み上げた海水をいよいよ太平洋・田子の浦海岸に注ぐ日が来た。
みろく山の会に入会したきっかけは「日本横断」。
面白そうだからやってみた。
やってみたら思ってた以上に面白かった。
思えば、雨の早月尾根で始まり、雨の村山古道で終わった。
合計11回の山行予定が、荒天の途中撤退が2回あったため、最終的には山行回数は13回となった。
つらかった南アルプスでは両俣小屋からの登山道が荒れて、白峰三山は断念した。
北アルプスでは新穂高から槍平小屋に通じる滝谷の木橋が流され、急きょ逆コースで大キレットを越えた。
早月尾根の有名な石碑「試練と憧れ」・・ 多くの試練を与えられたがなんとか事故なくクリアできた。
今の気持ちは?
「今まで生きてきた中で一番幸せ」・・・ん?・・・どこかで聞いた事があるセリフだなぁ。
新隊長・カモシカの船戸
教育係の武沢
渋い山屋の中村(直)
春風の大場
ふんわり綿あめの原
努力の中村(志)
スーパーパワーの野澤
10月8日(土) 小雨 いにしえの道「村山古道」
御殿場駅=富士宮五合目8:16:着 8:20出発…六合目村山古道入口8:42…大倒木帯9:10…御殿庭分岐10:15…スカイライン10:27…女人堂跡11:30…大淵林道11:41…富士山麓山の村12:20…札打場13:40…村山浅間神社16:03…村山ジャンボ16:20着(泊) 行動時間8時間
夕飯とツマミ
前菜(酒のつまみ) サラミ 胡麻豆腐 おでん風煮物 メインディッシュ(〆の麺) 豆苗の炒め物 即席和風麺
最終回のこの日、それぞれ胸中にこの1年10ヶ月の思いを抱いたメンバー全員が御殿場駅に揃った。
空はどんよりとした雨雲だが、メンバーの顔は揃いの横断 Tシャツの青色と同じくらい晴れ晴れとしていた。
前回の日本横断⑩富士山駅~富士宮口五合目の時も、御殿場駅は雨だった。
下山したら飲まずにはいられないメンバーばかりなので、雨の中ビショビショになりながらも反省会の居酒屋を探し、ウロウロしたのを思い出す。
予約していたジャンボタクシーに乗り込み、再び富士宮口五合目駐車場に向かった。
大きなザックを背負った私達が降りると、一組だけいた観光客と思われる団体さんが「富士山登るの?」と不思議そうな目で言う。
綿あめが「いいえ、富士山には登りません」と答える。・・・ん?・・・じゃどこ行くの???
この日の気合入れは教育係がやった。やっぱり教育係がいるとチームがピリリと引き締まる。
メンバーは5合目から村山古道に入ると思っていたようだが、カモシカ隊長は「古道のスタート地点である6合目まで登ります」と言う。
実は5合目からの古道登山口がネットで調べても分からず、確実に分かっているのが6合目地点だったのだ。
しとしとと雨は降っていたが風はさほど強くなく、20分程で6合目雲海荘に到着しロープの向こうに古道の踏み跡らしき道を発見するも、念のため雲海荘のおかみさんに確認した。
「あら~こんな天気で村山古道歩くの?浅間神社まで? 気を付けてねぇ」と声援を頂く。
村山古道(村山口登山道)は1000年前に開かれた富士山最古の登山道で、100年間廃道になったままだったが畠堀操八さん他3人の方達が、足かけ2年の歳月をかけ2004年8月復活させてくれた登山道である。
修験者達が歩いた古の道で、名残を見つけながら歩くのを楽しみにしていた。
歩き始めの登山道はテープや赤丸のマーキングが付いていて比較的分かり易く進めたが、大木の倒木が多く跨いだりくぐったりと障害物競争をしているようだった。
少し開けた「一ノ木戸跡」らしき所で休憩を取るが雨の為喉も乾かず、ザックを開ける気にもならずルートのみを確認した。
ネットや本のほとんどの情報は富士山に向かう記録が多く、その情報を読んでいると逆に海に向かって歩いている私達は時々右左が頭の中でごちゃごちゃになってくる。
日沢を右岸から左岸に渡たり暫く水は伏流となっていたが、10分くらい下ると小滝が現れ水の流れが目に見えるようになってきた。
太平洋に流れる川の源流だろうか。
大倒木帯は駿河湾と富士山頂の展望がいいらしいが遠くの景色は雨で真っ白、しかし足元は苔の緑が美しく、残念な気持ちを癒してくれる。
山屋も苔が好きらしくしきりにカメラを向けているが、努力や綿あめはすかさず反射的にポーズをとる。
「参ったなぁ~」と山屋。横断山行では恒例となった場面である。
不動明王の石碑、岩屋不動の分岐を過ぎ一回目の車道富士山スカイラインを横切り再び古道に入り、そこでカモシカ隊長は雨で濡れた靴、ザック、服の様子や明日の朝の雨予報を考慮し、本日の幕営を断念し事前に調べておいたスポーツ施設「村山ジャンボ」に電話を入れ素泊まりの予約をした。
ジャンボというネーミングが初代隊長の高橋ジャンボさんと被り、メンバー一同たまらなく心に響く。
看板の「村山」を「高橋」に書き換えちゃおうか!!と誰かが言っていた。
テント泊を止めて宿に泊まる事に決まるとメンバーのテンションが上がる。
何だか複雑な心境の隊長。
二回目の車道スカイラインでは富士宮口五合目行きの路線バスを見送ったが、この天気では乗客は殆ど乗っていなかった。
六観音跡、女人堂跡と相変わらず苔の美しい静かな登山道を歩く。
目の前に大きな建物が現れ「富士山麓山の村」に12:20到着し、高床式になった教育棟のような建屋の下で昼ご飯をとる頃には雨は上がった。
この施設は立派な建物が広い敷地に林立していたがどの建物も利用されていないのが明らかな様子で、勿体ないなぁと思いながら、これまた立派な吊り橋の下を「村山古道」の標識通りに進んで行った。
このあたりから原生林とはさよならし鬱蒼とした植林に変わって来た。
手入れが届かない植林地は暗く、正直つまらない。
そう言えば歩き始めの6合目2500m辺りでも樹木の紅葉は全くと言っていいほど見る事は無く、今年は紅葉が遅いのか? 終わったのか? 自然現象で紅葉しないのか? 疑問に思っていたが聞く所によれば夏の暑さと、雨の多さでイマイチなんだとか・・・残念。
天照教奥ノ院へ向かう林道に出たところでその先の入口が分からず、天照教社の敷地内をGPSと地図を頼りにミンナで探し、踏み跡を見つけた。
その先は雨水に浸食され、えぐれた溝路になっていて歩き難い。
札打場には大きな欅に注連縄が張られ、願いが書かれたお札がたくさん下げられていた。
「バスケットが上手くなれますように」フムフムいいねぇ。
「運命の人に出逢えますように」え~~ッ、小学校6年生?? 今どきの子だなぁと感心していると、努力が「山で満点とれますように」と言った。
何をもって満点なのか分からないが努力らしい願いである。
登山道は相変わらず亀裂が走っているような溝路で、所々間伐作業のブルドーザーが走った跡で道が掘り起こされぬかるんでいて歩き難い。
溝の深い所は歩き易い土手の上を歩くが、本来の登山道とずれてくる。
戻るタイミングを見逃すと踏み跡は無くなりミンナでマーキングを探す。
当たり前だが先頭を歩く者に付いて行くだけではなく全員が意識して歩く事が何より大切だ。
足元は泥濘、正面は、しの字に曲がった杉、頭上には送電線を見て進んでいくと林道にぶつかった。
地図も、GPSも登山道は林道をつっきり一直線にそのまま向かっているが、どこを探しても草がボウボウで首を傾げる。
ピンクのテープを見つけそこから茂みに入ってみても結局同じだった。
それでもわずかな踏み跡を頼りに先に進んでみる。
幸い視界ははっきりしているし、急峻な道でもない。
何より方向はバッチリ合っている。
この先には馬頭観音があって、クサリをくぐると情報には書いてあった。
20分程草をかき分け進むと何と先程の林道の先に出た。
林道をそのまま東に行けば良かったんだと判明し、林道終点のクサリを無事にくぐった。
ここで山道は終わり苦手なアスファルト歩きであるが、のどかな風景を見たり、村山道の道しるべを見つけたりして会話も賑やかになる。
本来の幕営場所と考えていた「村山浅間神社」に16:00到着。
ネットで見ていたアルコール調達の山本商店も見つけるが、今日は「村山ジャンボ」に泊まるので商店のおばちゃんに挨拶だけして、浅間神社の鳥居の前で頭を下げ、今日一日の無事に感謝し、すぐそばのジャンボに向かう。
広~い体育館のような所が今夜の寝床となった。
お決まりの乾杯はビールに始まりいつもの日本酒や梅酒、食当の綿あめと山屋が用意してくれたおでん、豆苗の炒め物、メインは山屋御用達の「養養麺」。
これが優れもので簡単、便利、旨いの三拍子そろっていて、帰ったら早速ネットで注文しようとミンナが口をそろえて言う。
不思議な置物が点在する施設で、お風呂の扉を開けたとたん鎧を付けた等身大の人形が迎え、危うくひっくり返りそうになる。
山で怪我をしなかったのに。
夜中にトイレに行くのもチョット怖い。
10月9日(日) 小雨 ・晴れ 感動のゴール
宿6:10…村山浅間神社6:25…道しるべ7 6:38…石碑6:59…八大金剛童子7:13…道しるべ5 7:17…道しるべ3 7:48…釈迦堂8:11…セブンイレブン9:22…ジャンボさん・ニコニコ大臣と合流10:15…昼食11:35…吉原本町駅11:50…広重左富士12:13…田子の浦港13:40…富士塚15:03…ビジネスホテル菊川15:15 行動時間9時間
朝食
野菜の美味しいスープ
山飯(塩味)
ベビーチーズ
予報通り夜半は雨の音がしていて、テントにしないで良かったなぁと温かい布団の中で思った。
いよいよ最終日だ。
南アルプス椹島の朝食から登場したフライドライスの「山飯」が今朝のご飯。スープとの相性がとてもいい。
カモシカ隊長が最終回の気合入れ。いつもよりも大きな声で、
「いよいよラスト!! 日本横断夢の縦走、田子の浦海岸に行くぞ~!!」「オ~!!」
「行くぞ~!!」「オ~!!」
「行くぞ~!!」「オ~!!」
感無量で胸が熱くなる。
村山浅間神社境内でお賽銭をあげいままでの無事を感謝するとともに今日の無事を祈る。
と、歩き始めの階段でスーパーパワーが滑落!!滑り台のように階段を4~5段滑ってしまった。
ザックと頑丈なお尻(失礼)のお蔭で事なきを得た。
山と違い、街中は道が分かりずらい。
まして、村山道を忠実に歩きたい私達は事前にルートを記録させておいGPSが頼りなので、カモシカ隊長と教育係が先頭を歩く。
富士山は雲の中、小雨が降ったり止んだりで合羽を着たり脱いだり、いくつかの道しるべの辺りで何度となく衣類調整をした。
八大金剛童子を過ぎた辺りから両側にイチョウの木が延々と植えられていて、銀杏が地面を覆うように落ちていた。
栽培しているようで、山盛りになっている所もあり、辺り一面独特の匂いが漂っている。
また、苔も栽培しているらしく所々緑の絨毯のようで触ってみたくなる。
「猫注意」の看板を見て笑い、車に水を掛けられ怒り、柿を採りたい衝動に駆られ、所々にある道しるべやレリーフをカメラに納め、引き寄せられるように酒屋の軒下で休み酒粕の話で盛り上がり、新東名の上の歩道橋を渡り、セブンイレブンを見つけるとコーヒーで一息入れ、吉原商店街でジャンボさんとニコニコ大臣の横山さんが私たちを出迎えてくれた。
スタートした時のメンバー9人が10:15吉原で揃った。
ジャンボさんの顔を見たとたん、泣き虫隊長はうれし涙。
やっぱりこの9人が揃わないとチームじゃない。
この日吉原は「宿場祭り」で出店、出し物、と大賑わいだった。
昼食に入った中華料理店も店外でから揚げや春巻きなど提供していて、店はやっていないようだったが、「いいよ~いいよ~」と明るいお姉さんが店に入れてくれて、チャーハン、ギョーザ、野菜炒めなど久しぶりにメンバー一同集まり楽しく美味しく頂く事が出来た。
メニューには「笑顔 0円」と書いてあった。
そうそうゆっくりもしていられない。
ヨサコイのリズムや大きな大漁旗や、揃いの衣装で踊っているチームを眺めたり手拍子したり、写真を撮ったりして私達も少しだけ祭りを楽しみ先に歩き出した。
1両編成の岳南鉄道「吉原本町駅」でもビールを販売していた。
平家越の橋を渡り、安藤広重の浮世絵に描かれている「左富士」のレリーフと本当の左富士を見て(大きな建物があり頭だけしか見れなかった)田子の浦港目指して黙々と歩いた。
それぞれの胸の内は分からないが一歩一歩着実に600㌔のゴールは近づいている。
「ふじのくに田子の浦みなと公園」の先端には真っ白な灯台が見えてきた。
隊長は涙をこらえるのが精いっぱいだった。
13:24.ゴール!!! 終わった!!!
今までで感じた事が無い感情で頭の中はいっぱい。
言葉では言い表せないが一つだけ「感謝」と言う言葉を揚げたい。
仲間と握手、ハグ、バンザイ、あらゆる喜びの表現で分かち合った。
冷凍庫に保存しておいた日本海の海水を愛おしそうに太平洋に注ぐ。
そしてこれまで事故なく歩き通せたことを感謝し、吉原で仕入れたお神酒も注ぐ。
「もったいないから少しで」と山屋が笑いをとる。
ジャンボさんが用意してくれた「日本横断夢の縦走 完踏」の横断幕を持って記念撮影。
周りの見ず知らずの方も写真を撮っていた。
ポーズを変えてまた一枚。
いつまでも感動の余韻に浸っていたいがそうもいかない。
万葉集を繋げる為にもここに来た。
万葉の歌聖・山部赤人の歌碑に参り、喜びを2倍にした。
その後田子の浦港対岸の「富士塚」にも向かう計画だが、既に横断をやり遂げた感いっぱいで急に足が重くなり、軟弱な隊長は「タクシーで行こうか?」と提案、ミンナ笑顔で反対する者はいない。
しかし・・・神様はいたのであった、「最後までしっかり歩きなさい」と。
結局タクシーは手配出来ず、来た道を戻り本日のお宿「ビジネスホテル菊川」に向かった。
ここで綿あめがホテルの名前を「菊水」と言う。さすがに酒好きだと一同大笑い。
ビジネスホテル菊水、いやいや菊川には14:40到着し、ザックを置いて富士塚に向かった。
靴下も靴も濡れて足の皮がふやけて痛く、良かれと思って宿のサンダルに履き替えるが、歩きにくく後悔する。
静岡県にただ一つ残る田子の浦の富士塚は富士登山の出発点であり、修験者は田子の浦の海水でみそぎをした後、海岸の石を一つづつ積みあげて安全を祈願したとの事。
私達は感謝の気持ちを込めて石を置いた。
メインイベントの打ち上げは17:20から宿の宴会場で始まった。
ジャンボ隊長が「成し遂げて学んだ事を今後会にも活かしていってもらいたい」との挨拶。
カモシカ新隊長は「ブルーベリーの会」立ち上げの報告とお願いをし、第1回、第2回日本横断の坪井隊長からの祝電を読み上げ、「おめでと~。おつかれさま~。かんぱ~い」を皮切りに大宴会の始まりである。
坪井隊長の電報
宿の料理は豪華な舟盛りや地の物を使った見た目も綺麗な心づくしの料理である。
事前に告知していた一人一芸も始まり、着物姿がキリっときまっている努力は日本舞踊を披露してくれた。
教育係はフラフープを上手に回す。一人づつトライしてみるが誰一人回すことはできなかった。
阿波踊りも教育係の指導でミンナで踊る。
♪♪♪踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊りゃなそんそん♪♪♪
♪♪♪えらやっちゃ、えらやっちゃ、よいよいよいよい♪♪♪
チョー楽しい。
スーパーパワーは「川の流れのように」の替え歌を歌ってくれた。♪♪♪知らず~知らず~歩いてきた~・・・・涙で声を詰まらせる。
苦しかった事、楽しかった事全てが歌に込められている。思いはミンナ同じだ。女性陣はワンワン号泣だ。
ニコニコ大臣は山本リンダの「困っちゃうな」の替え歌だ。困っていたとは知らなかったがいつもニコニコ楽しい。
ジャンボ隊長は台湾の「梅花」を歌ってくれた。厳しい寒さの中で咲く花を私達にたとえてくれ、心に響く歌声だった。
綿あめはストーリーのあるリコーダーの演奏5曲。神様っているんだなぁと思ったと言う綿あめの気持ちに同感し、カモシカはまた泣く。
ふだん物静かな春風は流緒に落語を披露してくれ、新たな一面を見る事が出来た。
努力は女将さんに着物を借りていたのでもう1曲踊り、女将さんにも披露した。
山屋は「歌い出したら止まらないからやめておく」と最後まで「しぶい山屋」だった。
カモシカは無芸大食が芸であるがそれでは申訳ないので、一人一人に絵を描いた。
ミンナ喜んでくれ、下手くそだけど気持ちは伝わったようで嬉しかった。
料理も食べつくし、2次会は男性陣の部屋で地酒を囲んで山の話で盛り上がった。
今まで登った山で良かった山。これから登りたい山。やりたい事。など話は尽きない。
部屋には23時頃戻り、長いようで短かったこの1年10ヶ月、そして今日を振り返る事も無くバタンキュー zzz zzz
10月10日(月・祝) 晴れ
同室で寝た教育係とカモシカは朝の散歩に出かけた。
津波が来た時のための避難施設の階段を上り屋上に立つと富士山、田子の浦港、富士宮の街が360°見渡せた。
二日酔いも無く、すがすがしい朝だ。降りたら鈴川海岸にも行き昨日の白い灯台が対岸にも関わらずすぐ近くに見え感慨もひとしおだった。
宿の朝食は7:00。早起きに慣れている私達はお腹が空いてパクパクと食べていると、女将さんが「食べるの早い」と叱咤する。そう言えばお味噌汁がまだ出ていなかった。「山はゆっくり食べていられないものね」と女将さん。
電車で食べてと、冷凍ミカンとトウモロコシを茹でて持たせてくれた。 「村山古道を歩く」の筆者畠堀さんも常宿としているらしい。 温かく親切で清潔、おもてなしの気持ちが溢れたいい宿だった。またいつの日か利用したい。
吉原駅8:55の電車で帰路につく。
ありがとう、ミンナ。 おつかれさまでした。(記・カモシカ隊長)
《第三回日本横断の記録》
◇ 山行回数 13回
① 2015.8.21~24 日本海・早月川河口―劔岳―立山―室堂
② 2015.9.18~23 室堂―五色が原―薬師岳―雲の平―新穂高
③ 2015.10.8~11 上高地―焼岳―位が原山荘
④ 2015.10.30~11.1 開田高原―北沢峠
⑤ 2016.4.29~5.1 早川町ヘルシー美里―毛無山―富士山駅
⑥ 2016.6.17~19 位が原山荘―乗鞍岳―開田高原
⑦ 2016.7.18~20 木曽福島―木曽駒ヶ岳―駒ヶ根
⑧ 2016.7.28~8.2 北沢峠―仙丈岳―三峰岳―塩見岳―蝙蝠岳―二軒小屋
⑨ 2016.8.17~21 聖平小屋―聖岳―赤石岳―椹島
⑩ 2016.8.26~27 富士山駅―富士山―富士宮口五合目
⑪ 2016.9.15~18 早川町ヘルシー美里―伝付峠―二軒小屋―荒川三山―椹島
⑫ 2016.9.23~26 上高地―前穂高―奥穂高―北穂高―槍ヶ岳―新穂高
⑬ 2016.10.8~10 富士宮口五合目―村山古道―太平洋・田子の浦海岸
◇ 日数 37泊 50日
テント泊 17泊
小屋素泊等 11泊
車中泊 3泊
その他 6泊
◇ 歩行距離 621㎞
◇ 踏破した3,000m峰 17座
(未踏破 御嶽山、北岳、間ノ岳、農鳥岳)
◇ 事前トレーニング山行(体力訓練、テント泊訓練、岩稜帯登下降訓練)
2014.12~2015.6 8回(その他各自で自主トレ)