鎌倉歳時記(祭シリーズ⑰)

山行情報・担当者

日時:2月15日(水)  天候:晴れ  ランク:A-A-5:00  参加者:12名
山行担当者:CL1956 SL2224 AD1855
記録担当:記録1956 写真・文責・作成2751

ルート・コースタイム

北鎌倉駅 9:00…9:00 円覚寺 9:50…10:00 建長寺 10:45…11:30 宝戒寺 12:10 宇都宮幕府跡 …12:30 きらら会館 12:50…13:10 妙本寺 14:10…14:25 蛇苦止堂 …14:35 本覚寺 …15:00 鎌倉駅

記事

今回の鎌倉歴史山行のサブタイトルは、「涅槃会法要を各寺に訪ねる」だ。
2月15日(陰暦)は釈迦入滅の日とされ、釈迦の遺徳追慕と報恩の為の法要が各寺で営まれる。
建長寺の涅槃会の法要と、その日に開帳される各寺の涅槃図を見学した。

この山行(鎌倉歩き)の一番の売りは、NPO鎌倉ガイド協会所属であり当会の会員でもある方が説明をしてくれることだ。普通なら何気なく見ただけで通過してしまうような所なども、故事来歴の説明を聞くと理解が深まり、興味が湧く。鎌倉は、そこかしこに歴史が埋もれている。この地に隣接する横浜に生まれ育った身ながら、鎌倉の事は断片的な知識しか持ち合わせていない。ちょっと気合をいれて鎌倉の歴史を見つめてみたいと思った。

 

集合は北鎌倉駅、円覚寺門前で

早速、円覚寺の見学
臨済宗大本山の円覚寺、階段の上に見えるのは三門

仏殿の前の柏槙(ビャクシン)の説明を聞く
柏槙は禅寺に植えられることが多いそうだ
悟りを得るための教えが、成長が遅く泰然自若としたビャクシンの成長と相通じるものがあるからだと言われる

建長寺・涅槃会の為に法堂に入る僧の列
涅槃会が行われる法堂

法要の様子 昔から受け継がれる儀式の一端に触れることができた

法堂を後にし、正統院、回春院に進む

木立の先に正統院がある
ここには第二次大戦で投入された「特攻兵器・桜花」に搭乗し、亡くなった若者たちの顕彰碑がある

禅の開祖、菩提寺達磨の像
「ダルマ」とは、サンスクリット語で「法」をあらわす言葉だそうだ

地獄谷を覗いてから、回春院・大覚池経由で宝戒寺へ

少し進んだだけで山中の雰囲気

尾根を乗越とすぐ住宅地に出る

宝戒寺本堂

宝戒寺の涅槃図を覗く

福寿草が満開

宝戒寺の参道は八角形の石畳 何かの礎石と聞いたが…

宇都宮辻子幕府跡
頼朝の後を次いだ2代頼家、3代実朝ともに非業の最後を遂げたため、それを忌避し、この地に幕府が遷された
ここで政務をとった4代頼経の子も死産であったため、わずか11年で若宮大路幕府へと遷府された

ご存知、若宮大路
ここも、往時はもっと道幅が広かったことが発掘調査で分かったとの事だ

日蓮宗 霊蹟本山 比企谷 妙本寺の総門

こちらは二天門
仏教の守護神である四天王のうち、持国天と多聞天(毘沙門天)を安置していることから「二天門」と呼ばれている

祖師堂
妙本寺の中心的な建物で、日蓮、日朗、日輪が祀られている

祖師堂には見事な彫り物がある

比企谷奥に佇む女人像
凄まじい形相は、恨みを呑んで死んだ若狭局といわれている

鎌倉幕府二代将軍源頼家の息女で、4代将軍九条頼経の妻となった源媄子(よしこ)の墓
媄子は頼朝の血を引く唯一の人だった

妙本寺には、怪獣生みの親 大伴昌司氏の墓がある

北条氏の謀で滅亡した比企一族の墓

蛇苦止堂に行く途中、アオジを見つけた! どこにいるか、分かるかなぁ?

蛇苦止堂 蛇苦止明神を祀ってある
蛇苦止明神は妙本寺の守護神となっているという

比企氏滅亡の60年後、執権北条政村の娘が讃岐局の怨霊に取り憑かれた
局が大蛇となってとぐろを巻き、火炎のごとき苦しみを受け続けて、比企ヶ谷の土中にあり、その霊が祟ったのだという

本覚寺の夷堂

帰路、本覚寺に立ち寄る ユスラウメか艶やかな花に癒される

本覚寺 境内の梅と河津桜