エベレスト・カラバタール(後編)
後半の旅程表・地図
8日目(11/7・水) ロブチェ(4,910m)~ゴラクシェプ(5,140m)~EBC往復(5,364m)
EBCは言わずと知れたエベレスト登山のベース基地。まさか自分がそこに立てるなんて思ってもいなかった。ゴラクシェプで昼食を取りヘッドライトをザックに入れ12時半出発。しばらくは平らな道だがサッサと歩くガイドの後を息も絶え絶えに歩き5200mを体で感じる。いくつかのアップダウンを繰り返すとエベレストの雄姿とEBCが見え、息もテンションも上がる。
EBCは今回のトレッキングの最終地点でありクーンブ氷河の開始点。一見土かと思った登山道は全てが氷だった。巨大なビルが林立するようにいくつものアイスフォールと岩稜が行く手をふさぎ、5,000万年前の地球の営みを目の当たりにして唖然とするしかなかった。登山時期ではないのでテントは無かったが、5色の祈祷旗タルチョがその意味(天・風・火・水・地)を語るようにいくつもはためいていた。EBCから8,848mの頂きを見ることは出来ないが、この地で事故や災害 で命を落した方々に、そしてこの地に立てた幸せに目を閉じ、空を仰いで祈りと感謝を捧げた。エベレストはまさに神々の住む山だと実感した。(記:3080)
(写真をクリックするとスライドショーで見ることができます)
同日(11/7・水)ロブチェ(4,910m)~ゴラクシェプ(5,140m)~カラパタール(5,550m)往復一次隊
EBC選抜隊と別れた後、10人は20数分遅れでゴラクシェプ・ロッジに到着。選抜隊の出発を見送った。
ランチの後、あまりの好天に思わずカラパター ルに登りたいとの思いが。しかしガイドがいない。待つこと2時間余り、最終組の到着を待ちガイドにカラパタール登頂を打診。すぐにOKが出てガイドのランチを待ち、午後2時前7人が出発。標高差わずか400mだが、これがとてつもなく堪える。真正面のプモリ、右手にヌプツェの迫力に励まされ、悪戦苦闘のなか山頂へ。登頂の握手も息も絶え絶え。世界最高峰の南西壁がその全容を現し、ローツェに至るサウスコルの稜線もくっきり。
360度世界の屋根の真っただ中を存分に味わった後、貴重な夕日に染まったエベレストに感激しながらヘッドランプの下山となった。(記:2347)
9日目(11/8・木) ゴラクシェプ(5,140m)~カラパタール(5545m)(二次隊)往復~ロブチェ~ペリチェ(4,240m)
前日のEBC往復組は今日がカラパタール本番、前日休養の3人を加え11人とガイドで早朝4時半、ヘッドランプを頼りに冷え切ったロッジを出発。
カラパタールは美しいプモリの前に鎮座している文字通り「黒い岩」。ガイドは登りに差しかかっても平地を歩くスピードで登る。途端に息が上がる。ギブアップかと思われた1ピッチ後、遅れ気味な方が2番手につく。皆、ホッ! これで頂上まで行ける。頂上では雪のついていない黒々としたエベレストを遠望、皆感動のなか「Kala patar 5545m」のプレートを手に記念撮影。
今日はペリチェまでの行程なので早速下山。ロッジで朝食後、全員がそろった9時半、本格的な下りに。2日前に泊まったロブチェで昼食後、ペリチェまでは長い。ディンボチェへの登山路と別れ、クーンブ・コーラ沿いの道をひたすら下る。ペリチェの村が見えるがなかなか近づかない。日没間近にようやく到着、後続隊(2人)はガイドに付き添われ、日没後の到着となった。(記:3060)
10日目(11/9・金) ペリチェ(4,240m)~ポルツェ(3,810m)
今日も晴天の中8時出発。橋を渡り徐々に高度を上げるとすばらしい眺望が広がる。ここでFさんの足が止まる。バラカジガイドは「馬を呼ぶ」とすぐ手配してくれ、30分後には到着しFさんは馬上の人となった。(以後4日間、ルクラまで)
往路をはるか下に見下ろしながら4,000m前後のルートをアップダウン、パンボチェのコンバに立ち寄る。古い形のラマ僧の寺で、イエティ(雪男)と高僧との逸話があり、雪男の頭部と右手が残されているが、本物かどうかは定かではない。4,000m近いトラバースの道を歩いているとヒマラヤタールに出会った。厳しい崖にいる。その反対は150mの谷底、落ちたらひとたまりもない厳しい状況。
アップダウンが結構あり、日没直前にポルチェに到着。(記:1876)
11日目(11/10・土) ポルツェ(3,810m)~クムジュン(3,780m)
早朝珍しく雲が多かったが、北方面の空が明るい。左方面の山肌から北に向かうルート(クムジュンから)が1本、右側からも1本(ポルチェから)。いずれもゴーキョピークに向かうルートとのこと。その奥に真っ白な山塊が見える。チョー・オユー(8,188m)とガイドが教えてくれた。
一旦、ドー・コシの橋まで急降下、そこからは延々と登り返す。4,000m前後のアップダウンを繰り返し、峠で昼食後クーンブ山域での最大のシェルパの里クムジュンへ。到着後、村唯一のベーカリーでティータイム。その後エドモンド・ヒラリー(1953年、エベレスト初登)基金が設立、運営する学校を見学。カトマンズの学校に引けを取らない高いレベルとのこと、OBのバラカジさん熱が入った説明。日本の関西の某大学アルパインクラブが、継続して支援を続けていることがプレートで確認できた。(記:3499)
12日目(11/11・日) クムジュン(3,780m)~パクディン(2,650m)
朝は快晴でスタート。いつもながら気持ちが良い。荷物運びのゾッキョ君たちを横目にストレッチを済ませて出発。今日はほぼ下りのみの楽ちんコースのはず、気が楽だ。ナムチェへ続く緩やかな丘を登っていくと予期していなかった展望が背後に広がる。エベレスト、ローツェ、アマダブラムの見事な揃い踏みだ。皆やや興奮気味に勝手に撮影モードに入る。一時の喧騒を終え下りにかかるともうエベレスト山群はさようなら。代わりに目の前のコンデ峰が鋭くも優美な姿を見せてくれる。
ナムチェでお茶休憩と医薬品の買い出しをして、あとは往路を戻るだけ。最後のエベレストビューポイントを確認し、砂ほこりの道を淡々と歩き暗くなる頃に宿に到着した。(記:3338)
13日目(11/12・月) パクディン(2,650m)~ルクラ(2,844m)
泣いても笑っても今日がトレッキングの最終日。第一日の真逆のコースであり、朝日を前方から浴び川沿いを行く。大きな皇帝ダリアが立派な花を咲かせていた。途中の標識でルクラまで2時間とあったので、1日目の登り時間の返しのことが気になっていたが、案外順調にルクラに到着。これですべてのトレッキング行程が完了した。
ルクラのホテルでお別れのディナーとトレッキング中誕生日を迎えたFTさんの誕生パーティ(チーフガイドの計らい)を済ませ、明日はカトマンズへ。(記:1872)
(11/14以降) ルクラ空港(ヒラリー・テンジン空港)の怪
朝早くからスタンバイしたが、なかなかフライト情報がない。天候(雲)のせいだ。散々待った後ようやく空港の荷物計量、セキュリティを終え、ボーディングパスも手渡された。1機の定員は15人、女性全員と男性2名、チーフガイドが直ちに乗り込み、あっという間に坂道の滑走路から飛び立ち、無事カトマンズへ。ところが次の便からなんと欠航、翌日もカトマンズのバラカジさんは浮かない顔、「今日もダメらしい」。
結局ルクラから10分の別の空港から飛んできた機に乗り込み、そこからジープをチャーターし、6時間かけてカトマンズに辿り着き何とか合流。これも最終フライトになってしまったとのこと。予備日があっという間に1日になってしまった。先行便に乗ったが、雲が多かったものの乱気流もなくカトマンズの天候は良かった。世界一危ない空港といわれる特殊な気象条件のせいなのだ。
11/15、合流後1日となったカトマンズ市内観光を終え11/16午後現地発、11/17早朝全員無事に羽田空国に帰国した。
エベレストトレッキング事情
[ロッジ・食事]ほとんどが2人部屋でロッジごとにペアリング交代、ベッドの上にシュラフ使用、シャワーがあるが寒くてあまり使えない。着替え は3~4日に1度程度。食事メニューは複数の中から担当SLがガイドと相談しチョイス。後半は食 欲不振から朝トースト、昼は白がゆで持参のふりかけが役立った。
[健康]のど痛、せき、たんが多く初期には便秘、下痢も。手持ちの薬では間に合わずメンバー同士でシェアしたが、最後はガイドのメディカルボッ クス(市販薬程度)のお世話に。ダイアモックスはほとんどのメンバーが服用(250㎎朝晩各半錠)した。なお今回パルスオキシメーターは、3,400mを超えるロッジから計測し、自己管理とする一方、口頭で毎日体調チェックをした。
[スマホ活用]海外でのスマホ活用はいくつかの方法があるが、移動時や複数人での使用の利便性からWi-Fiルーターを空港で2台レンタル。空港で 簡単な初期設定をすれば使用可。機内モードでメール、インターネット、ライン等は問題なく使え、昼食時やロッジ等で2台を分けて使用した。しかし、上部のロッジ数軒では不安定で使用できなくなったが、ロッジの有料Wi-Fi(600Rs≒600円)が使えた。大規模、長期間の行程では日本との通信手段の確保は重要である。留守本部の山行統括部長へは2~3日ごとにラインで簡単な現地報告を行った。
終わりに
過去海外会山行は滞りなく行われてきたが、国内山行にはないリスクがいくつかある。企画から実施まで期間も長く、ある時点から事前送金や航空チケットなどの払込が発生し、万一、中止になると金銭的処理が相当大変になる。また現地トラブルへの対応は情報に精通したガイドとのコミュ ニケーションや信頼がないと難しい。
今回のチーフガイドは英語、ネパール語はOKだが、ボランティアガイドがネパール語に不自由がないため、もっぱらネパール語を使い、ボランティアガイドが同時通訳でCL、メンバーに伝え、ほぼ支障は無かった。なお、英会話OKのメンバーも数人おり、その他メンバーも片言の英語とボディ ランゲージでガイドと意思疎通していた。
海外山行リスクへの対応としては、企画段階からCL、SLがプロジェクト方式で分担し、CLの不測の事態にも対応できるようにすることが望ましい。そのことでCLの精神的負担もかなり軽減する。
この地域(クーンブ山域)には、今回出会った日本人パーティが目指していたゴーキョピーク、アイランドピーク、アマダブラムBC(ベースキャンプ)などカラパタール以外にもいくつかの魅力的なポイントがある。ハードルは低いとは言えないが、準備を整え後続のあることを願っている。
追記
帰国後、残念ながら3人が軽い肺炎との診断で 入院治療となった。うち2人は山頂アタックには 参加していない。5,000mに差し掛かったロッジ からは、体調の確認を念入りに行ってきたが、顕 著な高山病症状もなく自己申告に頼らざるを得な かったのが実情であった。また、帰国後に受診し 投薬治療を受けたメンバーもいたため、全員を対 象に健康調査を行った。今後の同様な山行のため の貴重なデータとしたい。(記:2805)