キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰へ)

We made it!

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山行情報・担当者

ランク:B-C-15:00
山行担当:CL 2535 SL 3046
記録担当:2535  3046 1689  3075  3131  3332

コース

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山行記

「キリマンジャロ山行準備編」 N.S 2535
前回に登頂を果たしたS氏から、「35 周年記念山行にどう!」とキリマンジャロ山行を仕掛けられました。
どんな山でも「登れる」ではなく「挑戦できる」を信条としていますが、正直、国内でも登った山が少ない登山初心者であり、外国の山に興味がありませんでした。
「参加者はいるかな?」と考えながらも、情報を探るにつれて気分は本気モードに。前回の CL と SL にご支援を仰いで説明会を実施。不安と期待が入り交じったキリマンジャロ山行がスタートしました。
前回と同じツアー会社(F & K Cultural Tours and Safaris)に登山ガイドやサファリツアーなどの見積りを依頼1 人約 2,500 米ドルの回答を得ました。

事前トレーニングは、三浦半島縦貫、富士山、会山行(皇海山、後立山縦走に便乗)を予定しましたが、迷走台風や雨のために中止が多く、個人での実施が主体に。ビザは時間節約のためタンザニア大使館へ郵送申請で取得しました。(窓口だと申請と受け取りのため2 日必要です。)高山病対策として、有楽町駅と代々木駅近くの低酸素室を利用しました。

高所では、呼吸法が大事ですが、これと言った万人共通の呼吸法がないようで、指先に装着したパルスオキシメーターの数値が、より平地に近い値になるような呼吸法を試行錯誤で繰り返しました。
装備はアイゼンとピッケルを除いた雪山装備に準じたものを用意。約2週間の行動なので着替えが半端じゃない ! 参加者も。小生、半端な男なのでザック、スーツケース込みで 18kg に収め羽田空港を飛び立ちました。

「アフリカ最高峰にチャレンジ」 M.M 3046
8月 26 日朝4時、バラフキャンプを出発。ヘッドランプの灯りを頼りに岩場を登り続ける。すると水平線に現れた一筋のオレンジが徐々に広がり夜が明けてくる。太陽がソッと顔を出すと全てが色付き圧倒的な景色が広がる。マウィジーも朝陽に輝いていた。砂と岩の急斜面を黙々と登ると、さっきまで見上げていたメルー山も眼下に。すでに 5000 mを超えた。見上げれば砂の急斜面が延々と続き、吐き気も。「呼吸・呼吸」と自分に言い聞かせて乗り切る。だが、水飲み休憩のときは限界で「もう帰る」と弱音。日の丸の小旗を預けようとすると、「女性の分だけ」と仲間からサプリメントのプレゼント。有り難く頂くと周りの景色が急にハッキリし、嘘のように元気になった。

ガイド・ポーターらの歌に元気を貰いステラポイント(5756 m)に到着。ヤッターと大騒ぎで記念写真。しかしその後ウフルピークまでの辛さは、標高差 139 mなのに足が重い。真っ青な空に氷河、素晴らしい景色。しかし、なかなか前に進めない。吐き気と戦いつつ教わった呼吸法を繰り返して歩くこと 1 時間。ついに頂上に。ガイドに思わず抱き付く。肩を優しく叩かれギュッとされた時、スーッと涙が流れた。苦しかったがここでしか見られない景色を堪能した。下りがまた凄い。俊足で下るのだ。富士山の須走やスキーの下降のようだ。服の色が判らなくなるぐらい砂まみれだ。途中昼食で一息入れた後、再び一気に降りる。景色を愛でる雰囲気は無い。そしてバラフキャンプに到着。私は本当に登頂したのだろうか?あまりの下りの凄さに登りの辛さを忘れてしまった。当初計画とは違い、3日目の歩き具合を見たガイドがガランカキャンプを抜いてバラフキャンプ直行を決断。1 日早い 26 日のアタックは天候にも恵まれ、素晴らしいキリマンジャロ登頂になった。
これも現地スタッフの皆さんに登らせて頂いたお蔭かなとつくづく思った。

マチャメルートは花・岩・ザレ・三点支持等あらゆる山登りの楽しさが味わえるコース。だが、味噌・醤油派の私には現地の食事が喉を通らず、人一倍食べられたのはポテトだけ。登頂より食事の厳しさを思い知った。

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「2度目のキリマンジャロ」  Y.O 1689
3年前の会山行で、ふらふらしながらもウフルピーク 5895 mに登頂できた感動をもう一度、と思って参加しました。前回はひどい高山病。水や食事を思うようにとれずに苦労したので、今度は余裕をもって風景を楽しみながら登頂したいと思ったのです。登頂の日は 4673 mのキャンプを4時に出発。雄大な山での日の出や、頂上直下の氷河を見上げながら眺めた景色は素晴らしいものでした。高山病もなく、水飲み休憩を要求するほど水分を取りながら快調に頂上のウフルピークに立つことができました。氷河の帯が目前に迫り、遠くにはケニアの山々。さわやかなキリマンジャロの風と空気の中でペナントを囲んでのハグや撮影など、感動的な瞬間を仲間と共有しました。

いま静かにキリマンジャロ・コーヒーを飲みながら思い出すのは、高齢の私を仲間やガイド、ポーターが常に気配りしてくれたお陰で登頂できたこと。現地ならではの細々した体験も忘れられません。
・ 若いポーターの生き生きとした仕事ぶり。ジャンボ(こんにちは)の声に込められた温かい心
・ タランギレ国立保護区へのドライブ中に出会ったマサイの人たちが、遠い水場や乏しい草場を
求め家畜を連れて歩いていた姿
・ 週1度開かれる市へ向かう家畜の長い行列。あばら骨が見える瘠せた牛を先導する青年たちの姿。
日本の豊かさを気づかされた場面でした。

「念願の初登頂」  T.I 3075
今年1月 CL の相馬さんから電話でお誘いを受け、その場でキリマンジャロ行を決心しました。3年前、みろくで実施したキリマンジャロ山行にエントリーするも、参加条件である前提山行の調整が難しく断念した経緯があったので、今回は3月から始まった前提山行を最優先に臨みました。ミウラドルフィンでは 3500 m~ 6000 mの低酸素室で5回に渡って登山シュミレーショントレーニングを体験して不安を解消しました。

8月 22 日いよいよマチャメゲートからスタートです。小雨煙る中、ワクワクしながら歩き始めました。この辺りは雨が多いとか日本の屋久島のような感じです。マチャメキャンプでは夜、満天の星空が印象的でした。2日目のシラキャンプへは緩やかな岩場の多い道。3日目は瓦礫の緩やかな登山道を 4600 mのラバタワまでゆっくりと高度を上げ、3950 mのバランコキャンプへ下ります。4日目はガランガキャンプで昼食の後、当初の予定を変更してバラフキャンプまで岩場のアップダウンを繰り返して頑張りました。結果的にはこの選択肢でとても気分が楽になりました。

待ちに待った登頂日は朝4時にスタート。上着5枚、下は4枚、靴下2枚、手袋3枚、毛糸の帽子にダウンのフードという出で立ちでアタックを開始。朝日が昇り高度が上がるにつれて一生懸命呼吸法を意識しつつもどうにもならなくなった時、サブガイドのロイさんが肩を叩いてあと 30 ヤードだから頑張れ!と。本当にすぐそこがステラポイ
ントでした。その先、最高峰のウフルピークまでは朦朧とした中を足だけ動かして辿り着いたという感じでした。同時に嬉しさが込み上げて来て満足感でいっぱいになりました。

一時は諦めていたキリマンジャロ登頂を可能にして下さったリーダー、そして共に歩いて励まして下さったメンバーの方々、楽しい想い出をありがとうございました。

写真をクリックするとスライドショーになります

 

「もう一つのキリマンジャロ」  K.F 3131
キリマンジャロ登山に誘われた時、高度に強くない私は「とんでもない話」だと思いました。説明会に出てからどうするのかを考えればとの言葉を信じて参加したのがまちがいだったのかもしれません。その後のミーティングではメンバーの一員になっていました。不安はありましたが、未知の地タンザニアに行ってみたいと思うようになりました。
高所トレーニングのため富士山に3回登り、低酸素ルームに5回通って呼吸法を練習。室内で血中酸素濃度の数値がよくなっても山ではそう簡単に呼吸が楽にならず、体質的に難しいのかと落ち込むことばかり。無理をしてはいけないと実感しました。

8月 20 日、羽田に集合。21 日にキリマンジャロ空港に着くと、その日にチーフガイドに会い、装備品のチェックをしました。「高度順応の決め手は水を1日3、4㍑飲むこと」と言われて大変さを再認識。心配にもなりました。
22 日は高度 3033 mのマチャメキャンプへ出発。血中酸素濃度は平地とほぼ変わらない 90 でまずまずです。23 日はシラキャンプ (3837 m ) まで高度を上げていきます。富士山の高さを超え体調が何とかなっていることに感謝しました。寒さに震えながら、夜空一面に広がる星をみていると、 異次元のようでした。

24 日はラバタワーを目指してキャンプを出発。この日、私は高度 4380 mで下山を決心したのです。どんなに頑張って呼吸法をしても苦しくなるばかり。これ以上の無理をすべきではないと判断、ガイドのジョンと二人でアリューシャの町まで戻りました。ジョンがキリマンジャロには戻らないことが分かったので、次に挑戦する山のガイドを
依頼しました。

残りの日程で間に合う3泊4日で行けると計画されたのがメル山です。キリマンジャロが白い山と呼ばれるのに対し、黒い山といわれる岩山で標高 4566 mです。一日休憩し、その間に地図でルートを確認。私の大型ザックが下りてくるのを待ち、パッキングをし直して翌日メル山に向かいました。ガイドは勿論、頼りがいあるマサイ族のジョンです。コック、ポーター、ライフルを持ったレンジャーも一緒。日本人がいない中での4日間、頼もしいスタッフに恵まれメル山のピークに立てたのは忘れえぬ思い出となりました。

「独自の高所訓練法」  H.S 3332
キリマンジャロ登頂は、高所順応が重要な課題ですので、私のケースを記します。 昨年 11 月号の情報誌に「だれでも登れる山ではなくてもだれでも挑戦できる山です。先輩方の助言を参考に、しっかりとした準備と知識を身に付けて確実に狙います」との募集文があり、申し込みました。

1月に先輩方を交えた説明会がありました。3月から訓練登山が計画され、7月には訓練登山として2回の富士登山。他に好日山荘や三浦ドルフィンズでの高所順応訓練も。メニューは血中酸素濃度測定、最善な呼吸方法の模索、低酸素濃度での負荷加重です。ただ、私はこの訓練を受けませんでした。
高度順応力には個人差があるため、自分に合った方法を模索する必要があると考えたからです。酸素を吸引して、食事して水を飲み排泄するという体内循環は、各自が認識することです。登山中には現地ガイドから「1日3㍑の水を飲みなさい」との助言もありました。高度に合わせた循環生理作用を促進するそうです。 私の場合、昨年 12 月から3月まで六甲全山縦走とそのトレーニングに参加。4月には沢教室。5~6月は会山行に参加。7~8月には富士山に計4回登頂しお鉢巡りも5回体験しました。富士登山では水の取り方や呼吸の仕方、血中酸素濃度に注意を払いました。

昨年 12 月から8月のキリマンジャロ出発前まで毎週のように歩きました。そして6泊7日のテント泊による登頂本番です。マチャメルートはテント泊日数が多く過酷ですが、4000 mの標高差を登り、降りを繰り返しながら高
度順応するため、登頂確率が一番高いルートです。5895 mのキリマンジャロ頂上では、めまいや吐き気、頭痛等の症状にみまわれました。しかし、達成感と素晴らしい氷河の出迎えは、それらを吹き飛ばしてくれ、とても楽しい経験になりました。

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