今年もこの時期がやってきた。限界への挑戦「訓練山行」!!

これが訓練山行のきつい歩き。限界への挑戦だ

はじめに~時機到来、訓練山行

今年もついにこの時期がやって来た。そう、訓練山行の季節がだ。訓練山行って何、そんな疑問を持つ読者も多いだろう。訓練山行とは毎年3月に実施される距離45km、獲得標高3,000mに及ぶ六甲全山縦走に向けた、実に過酷な練習会だ。コースは丹沢と三浦縦貫の2つ。どちらも距離30km前後、獲得標高2,000m超とタフなコースだ。12月後半から1月いっぱいにかけて全6回開催されるこの訓練山行は、夏山に向けた足作りも兼ね、いわゆる六甲組以外のメンバーも多く参加する、当会きっての「名物山行」だ。

山行では、普段のペースでは訓練にならない、とリーダから常に檄が飛ぶ。ペースはとにかく早い。他の山行に比べると、まったく段違いだ。マジできつい。心臓はいつもバクバク。息せき切って歩き、会話することなどほぼままならない。視線は常に地面。景色を見る余裕なんてほとんどない。なんでこんなことをやっているんだろう、と誰しもが思う。まさに「限界への挑戦」だ。それでも毎回、参加者は優に30人を超え、多い時には40人を超えることも。この訓練山行、参加者多数であることからCL、SLに入るリーダも多い。企画が企画なだけに苦労も多い。でも、皆快くリーダを引き受ける。

このようにみろくの中で唯一無二のキラーコンテンツ「訓練山行」だが、なぜここまで人を魅了するのか。そこには歩くメンバーのいろいろな想いやエピソードが。

「風の中のすばる~、砂の中の銀河~、みんなどこへ行った~、見送られることもなく~」、「つばめよ~、高い空から教えてよ~、地上の星を~♪」。中島みゆきのこの楽曲、まさに訓練山行にピッタリ。今回はその魅力の真髄を追った。(文責:3840)

これからのキツイ山行に備えそれぞれ準備。さあ、行くぞ

これが私の挑戦

2022年に会に入会。でもその矢先に右足首を剥離骨折。テント泊や憧れの山行などに申し込んでいたが、泣く泣く断念。ほんと悔しくて、情けなくて、残念で仕方なかった。足だけでなく、心も折れそうになった。そんな時、励ましてくれたのは会で知り合った仲間たちだった。ラインで「足の調子はどう」、「山は逃げないから」と声をかけてくれたりした仲間たちの存在が、ほんと嬉しかった。

少しずつ回復してきたころに総会に参加。そこで、怪我を経験された先輩方から復活までの話をお聞きすることができ、とても勇気をいただいた。しばらく山行から離れていたが、会の40周年記念山行に、自分の復活山行として参加。会の歴史を感じ、先輩方に感謝しながら山行に参加できることが本当にありがたかった。それまで思うように参加できなかったからこそ、山に行けるありがたさを知った。2年目に入るころには、足の痛みはもう少しというところまで完治。けれど、なかなか思うようにことは運ばない。なんと、同じ右足首を捻挫した。そして再び山行をキャンセルせざるを得ないことに。

2回目の怪我から、痛みと恐怖との戦いが強まった。特に下り坂や下りの階段は、転ぶのではないかと自分なりに安全な歩きを心がけた。ようやく足の痛みが少しずつなくなり、歩けるようになってきた。そこで月例Bに参加。故障したことで、自分の身体のことを良く考えるようになった。そして今までずっと励ましてくれた仲間たちとこれからももっと歩きたい、という想いを強くした。そんな時に参加した山行で、六甲全山縦走の話を聞く。

その六甲全山縦走、参加するには訓練山行に参加しなければならない。でも訓練山行は月例Cランクだ。そこで月例Cにチャレンジ。なんとか歩き切り、訓練山行参加の切符を取得。今までの自分を受け入れ、これからの自分に挑戦したい。怪我をしてなかなか思うように会の活動に参加できなかった辛い時期もあった。それでも怪我のあと、訓練山行に参加し、六甲全山縦走に参加しようと決心できたことが私にとってとてもプラスになった。六甲全山縦走への挑戦で、これからの自分を自分で掴んで歩んでいきたい。(文責:3921)

辛い時期、励ましてくれた仲間たちがあってこそ

私が得たもの、つかんだもの

絶景キャンプ地を求め2年前に山の世界に足を踏み入れ、1年前にみろくへ入会。その後テント泊入門を経験し、次は雪山教室へ挑戦したい。が、体力不足とスピード不足を悩んでいると、訓練山行をすすめられた。でも、初めての長距離山行。20km、30km…。超マイペースのんびり性格のへなちょこの私が、果たして完歩できるのか?テント泊で痛めた膝は悪化しないか?疑問と不安が襲う。無理することはない、やめとけば?と、もう一人の自分が囁く。だけど、それでは新しい自分には出会えない。挑戦することが大事。だめだったらその時考えればいい、と先輩に背中を押していただいた。

大緊張で迎えた訓練山行、最初の丹沢はC班。でも2、3回目の丹沢、三浦縦貫はB班。そして4回目の丹沢はA班と徐々に班が上がり、4回をなんとか完歩した。なんという達成感なのだろう。自分には無理、不可能と思うことに挑む機会をいただき、この年齢で未知の世界に足を踏み入れる緊張感と喜び。刺激的な経験だ。「自分の限界」に挑戦する際、はじめの一歩はほんと勇気がいる。でも一歩踏み出せば、また新たな世界が広がり、自分の登りたい山や憧れの山が手の届くところに近づく。今回の訓練山行では、そのことが身体に染み入った。一歩踏み出せた自分を褒めてあげたい。そして何より一人では絶対成しえなかった訓練山行、CL、SLをはじめ挑戦への機会を作り応援してくださった諸先輩方、仲間の皆さまに多大な感謝を申し上げたい。

みろくでは各分野のエキスパートの先輩方が、深い懐で皆のやりたい気持ちを受け止め、応援してくださる。諸先輩方の胸をお借りし、これからもまた新たな挑戦を重ねて自分の幅を拡げ、いつか自分も誰かの背中をそっと押してあげられる存在になりたい。「さぁ、明日も年齢を脱いで、冒険を着よう」。(文責:4049)

六国見山山頂から眺める夕焼けの富士。ゴールまであと少しだ

六甲全山縦走にかける熱き想い

六甲本番にどうしても参加したい。3シーズン目にしてようやく実現しそうだ。1シーズン目は、新顔の私に当時のMリーダが「訓練山行に参加してみなさい」と、チャレンジの門を開いていただき初参加。とても充実した山行。本番にも参加したかったが、すでに応募締め切り後だった。2シーズン目は前年の想いをなんとしても実現したく、張り切りすぎて訓練山行数週間前に膝を故障した。整形外科で注射を打ってもらい第一回目に参加したが、当然ながら途中から痛みが激しくなりリタイア。無念しかなかった。スポーツドクターや理学療法士の方々の数ヶ月に及ぶ指導をいただき、自分の歩き方の癖や弱い箇所を意識して、以後徹底的に取り組みはじめた。

3シーズン目、とうとうチャンスがやってきた。六甲めざして自分の身体と向き合い、徐々に負荷をあげつつ歩き込んだ足は期待に応えてくれた。第1回目のゴールへ向かう「風の吊り橋」はクリスマスシーズンでライトアップされ、自分に向けられた祝福のようだった。この橋は自分にとって「ビクトリーゲート」に思えた。ひたすら続く急登・丹沢の歩きは自分に向いていた。しかし、小刻みにアップダウンをひたすら繰り返し、膝が痛めつけられるような三浦縦貫の歩きは、下りやアスファルト道を歩く技術が未熟な自分は苦手で、膝故障の原因でもあった。自分の中でひとつの言葉が生まれた。「三浦を制する者は六甲を制す」。この言葉を、三浦縦貫の訓練山行参加前の数日間、ずっと心の中で繰り返していた。三浦縦貫の訓練山行時には、慎重に軽やかに、かつスピードを落とさず歩くよう、特に意識して歩いた。

ゴールの大船公園に到着し完歩を確実なものとしたときは、喜びのあまりSLのKMさんと抱き合っていた。SLのKMさんは1シーズン目からずっといろいろなアドバイスをくださり、応援してくださった。また旧CLのMさん、SLの皆さん、そして横繋がりの皆さんの数年にわたるご指導や応援により歩き通せた経験は、生涯の宝になったことは言うまでもない。さあ次はいよいよ本番だ。(文責:3819)

ビクトリーゲートは夕日に彩られ、完歩を祝福してくれた

訓練山行はいつも想定外

2025年3月の六甲全山縦走に参加すべく、2024年12月から始まった訓練山行に参加。1月末の時点で丹沢が2回、三浦縦貫が2回ずつ、計4回。だが毎回想定外のエピソードが。

第1回は今シーズン初の訓練山行、場所は丹沢だ。タフなルートだが無事下山。下山後の反省会(懇親会)の会場を探すも、年末で渋沢駅近辺の居酒屋が予約で一杯とのこと。急遽、大倉からのバス車内でぐるなび検索、本厚木の激安中華居酒屋が予約でき、これで一安心。ところがである。現地に行ってみると、店側で予約が認識されておらず、狭いテーブルに押し込まれる。しかも店員の方に日本語が通じず、翻訳アプリで注文するまさかの事態に。

第2回は三浦縦貫だ。ロングコースの後半、右足裏の皮が剥けてしまう。でも、痛みと闘いつつ何とか完走。そのため、年末年始はまともに歩けず飲み食いばかりしていたら、あっという間に体重が3キロ増。第3回はその体重増のなまった身体でスタート。コースは大きく登り下りを重ねるタフな丹沢の歩き。しょっぱなからグループの歩行スピードにまったくついていけず、一回目の休憩箇所の念仏山で早々にギブアップ。後続グループに合流させていただくに至る。ほんと「訓練山行の厳しさ」を実感した。

第4回は、足裏対策の靴下二重ばきで三浦縦貫リベンジ。無事完歩した。メンバーの皆さんが引っ張ってくれたおかげで、前回よりも30分近くタイム短縮。しかも足裏も大丈夫と、初のトラブルなし。これも毎回参加しているからなのか、まさに「訓練山行マジック」だ。同行の方が履いていたトレラン用シューズが格好良く、早速翌日カモシカスポーツで購入。

結局、毎回想定外をエンジョイしながら参加。この訓練山行のご利益は「想定外」のほか、冬場の体力増強維持、無事下山した後の達成感、そして山を下りた後の反省会で喉を潤す生ジョッキの最初の一口だ。そして本番に向けた課題の洗い出しと対策の検証、共に汗をかいた仲間とのつながりもだ。これからも3月の本番に向け、訓練山行で楽しく鍛えて行く次第だ。(文責:3982)

急坂の舗装路をわっせ、わっせと気合で登る。実にしんどい

初のチーフリーダー業は訓練山行三浦縦貫

引き受けてはいけなかった…。当日朝まで、この思いは日々、増大していった。PC環境が整わず、手書きの班分け表の写メでSLの皆さんにご意見を求めたところ、データ化してくださった方がいて感激した。だが、それを友人に話したところ、逆に呆れられてしまった。苦肉の策の自分なりの工夫であったが、このデジタル時代にありえない甘えだった。「できることは全部やろう」。そんな思いでいたけれど、できることすら多分やれなかった。先人たちが築きあげた手本があるのに。努力不足で情けない。

朝の準備に手間取り、予定より1本遅い電車で集合場所へ。プレッシャーに押しつぶされそうになる。せめて1番に着こうと思っていたのに。胃腸の具合も悪い。駅に到着後トイレに駆け込み、改札を抜けて広場を見ると、もう半数近い人が集まっている。集金をお願いしたSLが、メンバー表を片手にその中心に立っている。遅く着いたうえに、記録するスペースも作れていないラップタイム表をSLの皆さんに配ると「自分で持ってきたよ」「これで大丈夫だよ」と優しい言葉に、情けなさと恥ずかしさで涙ぐみそうになる。

しかしこんな醜態を晒しながらも先輩リーダー方の懐の大きさに触れ、引き受けなければ良かったと完全には思えない自分もいた。山行中もリーダーらしいことはたいしてできなかったが、安全に歩行できるように気づいたことは声かけしていった。準備不足で道もおぼつかない私は、支援リーダーのSLに担当班をお願いし、途中リタイアする方を離脱ポイントまで送って行った。その時、その女性に感謝を述べられた。そして「ハグしてもいいですか?」と言われた。こんな私に感謝してくれてありがとう!と思った。もっと頑張らなければ!自分の班に走って戻り、彼女が無事に帰られたことを伝える。

ヘッドライトが必要になる時間が近づいていた。空が燃えるようなオレンジ色に染まり始める。そのころ、すでに先行のA班はゴールしていた。でも「こんなに美しい景色をA班は見れなかったね!」という言葉に、そうだねと皆で笑う。六国見山の夕景は期待どおりとても綺麗で、富士山もお疲れさんと優しく迎えてくれているようだった。後続には、遅れながらも完歩をめざす参加者1人とタフで優しいリーダーがいる。きっとこの景色を見て疲れが和らぐことだろう。ゴールでのハイタッチが楽しみだ。

リーダー含め37人が参加、体調不良でキャンセルせざるを得なくなった仲間も含めれば40名を超える。その1人ひとりに、さまざまな思いとドラマがあったことだろう。その全てを知ることはできないけれど、今回のCLを務めさせてもらった私は、少しずつでも全ての方と関わることができた。とても貴重な経験だった。そして何より、この仕組みを作ってこれまで何年も実施してきた歴代のリーダーの方々と、今年もこの山行を担っている先輩方の偉大さを感じることができる素晴らしい経験だった。六甲に行く人も行かない人も、この訓練に参加する価値はきっとある。何もできなかったけれど、このような機会を与えていただいたことに心から感謝したい。(文責:3757)

お疲れさん!と優しく迎えてくれた夕景の富士山。後続班でないと目にできないご褒美

「新」リーダー奮闘記

CL山行はわずか1回。そんな私に、支援リーダーM氏から六甲全山縦走のCLを、との打診が!当然だが、訓練山行にもリーダーとして参画することに。訓練から本番の六甲全山縦走までの、一連の手続きやツールに関してレクチャーを受ける。六甲参加希望者の訓練参加予定や宿泊希望の収集に始まり、山行結果の収集・整理、参加者からの問合せ対応やフォローなど、やることは実に多い。リーダーや参加者とのメールやラインのやり取りが極端に増加。寝る直前までチェックする日々が続く。

訓練山行は六甲への登竜門。同時に、自身の限界へのチャレンジの場でもある。若い人にとっては健脚を誇示する機会でもあり、速さを競う傾向も否めない。そのための安全確保ルールがあり、運営は多くのリーダーに支えられていることを改めて実感する。訓練山行参加者の体力、スピードはさまざま。適切な構成にしないと、山行の体をなさなくなる。私は三浦縦貫初回のCLを担当。申込みは当初43名。半分以上、面識がない。困ったなぁ!山行管理システムの情報では不十分。仲間に聞いたり、先輩リーダーに助言を仰ぎながら何とか班割表を作成。コースの事前下見どころではない。あっという間に当日を迎える。

昨年は気楽な一般参加。今回は“とにかくみんな完歩してほしい”気持ちでいっぱいだった。健脚揃いのA班で歩くも、各班の歩きが気になる。そんな中、C班がスローペースとなり、Ⅾ班が先行するという事態が発生。班割の失敗か?反省会の終わり際、C班及び最終のE班がゴールに近づいたとの情報が入る。居ても立ってもいられず、ゴールに急ぎ向かう。大勢引き連れゴールしたC班と大船公園前で遭遇。足攣り者をリーダーがカバーしながら、全員完歩を果たしたのだった。それから待つこと約15分、暗がりの中からヘッデンを点けて歩いてくる人影が!E班だ。その瞬間、目頭が熱くなり思わず声をあげた。今でもゴールでのハイタッチが忘れられない。E班は8名でスタート。完歩できたのはわずか4名。全体では36名中7名がリタイアするという荒れた山行となった。これが訓練山行の厳しさだ。だが、班割が大きく影響したのは否めない。またアンカーは自分が担当すべきだったと大反省。こんなことで六甲全山縦走のCLが務まるのだろうか?まだ六甲参加条件(3回以上の完歩)クリアに奮闘している人も多い。私もリーダーとしてもっと奮闘せねば!そして本番の六甲全山縦走をみんなで完歩したい。(文責:3847)

最終E班のゴールに立ち会う。外はもう真っ暗。でもみんな、ほんといい顔!

最終E班のゴールに立ち会う。外はもう真っ暗。でもみんな、ほんといい顔!

最後に~これが訓練山行の醍醐味

訓練山行自体は、決して楽しい山歩きではない。ただただしんどく、きついだけだ。でも参加するメンバーにはそれぞれの想いや目的がある。十人十色だ。得るもの、掴むものも同様だ。中には、思わず目頭が熱くなるエピソードも。だがその想い、目的に向けて自分を鍛えたいという気持ち、心意気は皆同じだ。そして回を重ねるごとに、これまでとは違う自分の到達点に辿り着く。加えてそれを肌身で感じることができる。なので自信も着く。これが訓練山行だ。皆、そこに魅了されるのだ。

そしてもう一つ。訓練山行は一人では途中で心が折れ、ほんとやってられないと思う。歩いてみると良く分かる。でも、仲間と一緒だから歩き切れる。そしてきつい練習を毎回共にして来たからこそ生まれる絆、一体感、仲間意識。これは単発山行ではなかなか生まれ得ない。まさにこれこそが訓練山行の魅力であり、醍醐味だ。ご褒美と言っていいかもしれない。

この醍醐味を味わえるのは、長年この訓練山行を引っ張って来て下さったNM両リーダーあってこそだ。そしてその両名のイズムに賛同し、山行を支えた延べ60人ものリーダーの存在も忘れてはならないだろう。そこには人知れない苦労や負担もある。でもここまで多くのリーダー陣が入る山行は当会でもなかなかない。訓練山行はみろくの、ほんと宝ものだ。

「語り継ぐ人もなく、吹きすさぶ風の中へ、紛れ散らばる星の名は忘れられても♪」、「ヘッドライト、テールライト、旅はまだ終わらない~♪」

入会を考えておられる皆さん、当会ではこんな歩きもやっています。あなたも入会し、当会の宝である訓練山行でその醍醐味を味わってみませんか。醍醐味を味わった後には一皮むけた自分が待っています。そう、確実に力が格段に上がっています。そんな自分に会えるのも楽しみではないですか。多くの仲間があなたを待っています。ぜひ一緒に歩きましょう。(文責:3840)

入会をお考えのあなた、仲間が待ってます。是非ご一緒しましょう

記録

◆丹沢コース(鶴巻温泉~大山25丁目~ヤビツ峠~三ノ塔~大倉:22㎞↑2230m/↓1967m)

◆三浦縦貫コース(京急長沢駅~大楠山~東逗子~大船公園:36㎞↑1933m/↓1936m)

  実施日 コース 参加者 完歩者 完歩率 平均時間 CLSL
第1回 24/12/21 丹沢 33名 29名 87.9% 8:45 9名
第2回 24/12/28 三浦縦貫 37名 30名 81.1% 11:01 11名
第3回 25/1/5 丹沢 38名 35名 92.1% 8:22 9名
第4回 25/1/11 三浦縦貫 41名 37名 90.2% 10:23 11名
第5回 25/1/19 丹沢 37名 35名 94.6% 8:33 11名
第6回 25/1/26 三浦縦貫 42名 37名 88.1% 10:30 11名
  合計 228名 203名 89.0% 62名
    丹沢 108名 99名 91.7% 8:33  
    三浦縦貫 120名 104名 86.7% 10:38