山行参加者:2782、2956 文責:2782

1.はじめに

 昭和 19 年生まれのMSと同年のNは今年、後期高齢の枠に入る。Nとは 2011 年、リーダーSTのもと親不知から御前崎までの峰々を歩き通す日本横断を達成した。また、北海道、東北、九州の主要な山を一緒に歩いた。年を経て、互いにこれが長距離縦走への最後のチャレンジの気持ちで、日本最古のロングトレイルといわれる「大峯奥駈道」に挑んだ。

2.計画

 標高 1200 ~ 1900 mの急峻な山々が連なる大峰山脈の主稜線を通り吉野と熊野の2大霊地を結
ぶ約 170㎞に及ぶ山岳道――と紹介されている奥駈道は、健脚者でも5泊6日が必要とされる。踏
破のポイントは、ザックの軽量化とアップダウンの連続に萎えない強い気持ちともいわれる。当初
テント泊を考えたが、食糧、水、テントの重量を減らせる小屋泊に切り替えた。それでも少なくと
も月例Dランクで6日間歩き続けられる体力が必要で、荷物の軽量化やトレーニングに精を出すと
ともに、不測の事態に備えて行程を①5泊6日で踏破する②体調不良の兆候があれば避難小屋かツ
エルトで一日停滞する③さらに体調が悪い場合は中間点の前鬼に下山する――の3段階プランとし
た。

3.装備

 避難小屋泊まり装備を基本としつつ、①衣類は原則2セット②食糧はアルファ米、アマノフーズ
の商品など、フリーズドライを中心にする――など軽量化に腐心する。しかし行動水や炊事用水 3.5~ 4㍑は省けず、登山開始前のザック重量は 20㌔に達した。

4.山行日誌

5月 28 日(火)奧駆初日 天気:曇りのち小雨
行程:吉野山-登山口~四寸岩山~二蔵宿小屋~五番関~洞辻茶屋~山上ヶ岳(泊)
歩行記録(ジオグラフィカ GPS ログによる):①歩行距離 17.8㎞②歩行時間 7:30 ③累計高度 (+)3,117m ④同 ( ‐ ) 1 ,831m

蔵王堂大峯山寺

 6:50 吉野山、後醍醐天皇陵近くの民宿からタクシーで大駆道登山口に向かう。地元の運転手だが
登山道には不案内のようだ。「ここだと思う」と言われ下車したところは最初の山、青根ヶ峰を通り過ぎた登山口だった。いよいよ6日間の奥駈道歩きが始まる。目的地の山上ヶ岳 (1,719m) までは基本的に登り。松林の坂道を登り始めて1時間、四寸岩山に着く。西側が開け、向こうに見える山々は湧き上がるガスに覆われている。やがてこの辺りもガスが流れ雨になるだろう。先を急ごう。緩やかな下りを約1時間歩く。細かな雨が降ってきた。二蔵宿小屋が見えてきた。大きくはないがしっかりした建付けだ。中にはストーブや毛布があり、10 人は泊まれそうだ。この先は大天井ヶ岳を巻く在来道を歩き「五番関」に向かう。1時間 20 分人気のない静かな道を行き五番関に着いた。写真でもよく見かける女人結界の門が登山道をまたいでいる。

女人結界五番関

 今回の山行計画には数人の女性会員が関心を示したものの、申込はなかった。女人禁制区域がネックになったと思われる。山岳信仰の中で女人禁制が一般化したのは 1300 年前で、女性が近づかない山奥こそが神聖な修行の場とされたことによるといわれ、大峯山寺は今日でも女人禁制を守っている。門の横の看板には「山上ヶ岳の女人結界を男女問わず修験道で修業し、信仰するものの信仰心としての戒律上の結界ととらえ、~~結界を護持しております」と記され、理解と協力を求めている。五番関から洞辻茶屋、鐘掛岩、湧出岳を経て山上ヶ岳宿坊に至る道は約 500m の標高差がある。登りは岩場、木の根、クサリ、長い木の階段などが続く本日の正念場だ。

山上ヶ岳、大峯山寺

 小雨の中を2時間余り歩き、龍泉寺宿坊にたどり着いた。宿坊は古い山小屋風の建物で広々している。10 畳はあろうかと思われる和室が3部屋と土間に食堂があり、小さな風呂もついている。今日は我々の他に1人の宿泊者(三峰山岳会の佐藤彰さん)がいるとのこと。風呂上がりのビールを飲んでいると、強くなった雨の中を2人の外国人が通り過ぎて行った。暫くしてさっきの外国人らしき人の声と係員の「リザベーション!」「ルール!」のやり取りが聞こえてくる。宿泊希望に対して「規則により予約がないとダメ」と言っているようだ。2人は 30 歳前後でドイツ人とベルギー人。日本の秘境を旅しており、この後青森の高い山(名前不明)と北海道の利尻に行くとのこと。宿泊は断られたが 40 分ほど歩けば小屋(小笹の宿)があり今晩はそこで寝ると言って雨の中を出ていった。

5月 29 日 ( 水 ) 2日目 天気:快
行程:宿坊~大峯山寺~小笹の宿~大普賢岳~行者還小屋~聖宝の宿跡~弥山小屋(泊)
歩行記録:①距離 18.5㎞②歩行時間 8:06 ③累計高度 (+) 2,398m ④同 ( ‐ ) 2,145m

 大峯山寺の開門に合わせ宿坊を 5:55 出発。さして急な坂ではないのに足が重い。山門で修行僧らしき人に出会う。門を入ると左手にどっしりした大屋根の本殿が見える。入り口には係の僧が1人座っている。ここは修験道の聖地。多くの修行僧が読経している風景を想像していたが何も聞こえない。静かにお参りする。N は神妙な雰囲気で手を合わせている。一昨日、義兄(奥さんの兄 ) が亡くなったとの知らせを受け沈んだ様子だ。山上ヶ岳から地蔵岳の急斜面を横切る。道幅は狭く笹が茂る。やがて小笹の宿に着く。2、3人しか泊まれない小さな小屋だ。誰もいない。この辺りから阿弥陀の森、明王ヶ岳にかけて道迷いへの注意がネットに出ていた。確かに各所で大きな倒木が道を塞ぎ、迂回路が幾つかある。日没後、積雪や霧が深い場合はルートを外れることもあるだろう。シャクナゲが咲き競う林を通り過ぎ、明王ヶ岳に着いた。

 道標のそばになんと昨日の外国人2人が座り込み手を振っている。「昨夜はどうしたの?よく眠れた?」と訊く。問題なかったようだ。「教えて欲しい」と地図を出し、吉野川に沿って走る国道にあるバス停を指し「何というバス停」と聞く。「下山するの」というと、「決めていない」との返事。彼らの地図には山頂からバス停に続く破線ルートが描いてある。「私の地図にはこのルートは載っていない。恐らく廃道か踏み跡もない厳しいルートだと思う。それにバスは1日に1便だけ。宿もない」と諫めると「テントがある」という。ただ、下山を決めている様子でもないので「弥山で会おう」と言って別れた。その夜彼らは弥山小屋には現れなかった。ここから国見岳、七曜岳にかけて急斜面、ロープ・クサリ場が続く。この日の核心部だ。

 滑らないよう慎重に足を運ぶ。雑木の中にシャクナゲが見え隠れする。行者還岳分岐についた。
行者還岳にも行場(靡き=なびき)があり、「行者還」はその厳しさに行者が引き返すことから付けられた名前とか。麓の行者還避難小屋から山を見上げると切り立った岩肌が見える。あの辺りが行場だろう。ログハウス造りの行者還避難小屋には3つの板敷きの部屋があり、各部屋には敷物と
布が積んである。

シロヤシオ群生地

 ここからシロヤシオの咲く林を通り、一の垰まで 100m 下りる。かなり歩いた、体が重い。弥山への登り口、聖宝の宿跡から小屋まで 400m の上り。つづら折れの坂、階段が続く。最後の 30 分はまさにヨレヨレだった。今まで「バテた」という記憶はないが、延々と続く階段に気分的に耐えられず途中で何回か休む。座っているといつの間にか眠っている。N の声にハッとし、気を取り直して階段に向かうが、足が出ない。これがバテの症状か。N に先に行ってもらい、何とか小屋にたどり着いた。自分にとって今日の核心部は弥山への登りだった。

5月 30 日(木)3日目 天気:晴れ時々曇り
行程:小屋~八経ヶ岳~明星ヶ岳~揚子ヶ宿小屋~孔雀覗き~釈迦ヶ岳~深仙小屋(泊)
歩行記録:①距離 13.1㎞②歩行時間 8:11 ③累計高度 (+) 1,512m ④同 ( ‐ ) 1,875m

 昨日は投宿後、暫くして両足が攣った。しつこい攣りだった。体力の限界なのかなと考えてしま
う。今朝は5時過ぎに目が覚める。気分は悪くない。深仙小屋までの距離は6日の中で一番短い、
とにかく行こう。6:50 小屋を出発、八経ヶ岳に向かう。4年前に会山行「大台ヶ原・大峰山」を実
施した。大台ケ原に登り、前鬼に一泊、釈迦ヶ岳、ここ八経ヶ岳を経て弥山小屋で宿泊した。今日はあの日と変わらず快晴、そして遠く大台ヶ原の山々が見渡せる。周りはシラビソ、トウヒの林だ
が、立ち枯れた木があちこちに見える。舟の垰辺りまでは平坦な道。バイケイソウの畑の中を行く
ようだ。舟の垰を超えて暫くすると大崩落個所に出た。4年前にも崩れて間のないこの大崩落を迂
回するため急斜面を尾根近くまで登り、そこから急下降した。当時歩いた踏み跡が今は細い道になっている。急な崖道をロープにつかまって下りる。揚子ヶ宿小屋はすぐ近くだった。小屋近くの水場に下りていくが、生憎水は涸れていた。仏生ヶ岳を過ぎると平坦な尾根歩き、遠くに釈迦ヶ岳が見える。三角形の山のてっぺんに見える黒い短い線は釈迦如来像だろう。この辺りから岩場の痩せ尾根になり次々と難所が現れる。エンの鼻尾根は両側が切れ落ちた岩道のため、前も通行止めだった。150m 近く下り空鉢岳まで登り返す。13:30 釈迦ヶ岳(1,800m)に到達した。青空のもと 3.7m の釈迦如来立像は凛として立っている。頂上からの眺望はさえぎるものは無く、歩いてきた大峰山脈の全容が見渡せる。

 今日はこの山の麓にある深仙小屋に泊まる。直接下りれば 30 分で着く距離だが、補水のため脇道を 15 分下る。運よく水量は豊富だ。だが、新たに増えた 2.5㍑の水は疲れた体にズンと響く。深仙小屋には 15:20 に到着した。3日前に山上ヶ岳、宿坊で一緒した三峰山岳会佐藤さん(以下、敬称略S)が手を振っている。Sは先に小屋に着き我々の寝場所を確保してくれていた。一息入れて小屋前の草に寝転がり、N の梅酒で暫しリラックス。小屋にはソーラー電灯とスマホ充電用の端子がある。トイレはなく、入口にスコップとシャベルが立てかけてある。夕食はアルファ米、アマノフーズの畑のカレー、海藻サラダ、味噌汁を準備した。Nは完食したが、自分は食べきれず半分残してしまった。

 Sも5泊6日で奥駈道全踏破をめざしている。コース、行程は我々と同じだ。Sは一回り若い 62
歳。東京墨田区に住む明るくて親切なナイスガイだ。みろくについて聞かれるままに、会員数、リーダー数、山行実施回数、事務所と組織、NPO 等について紹介すると「スゴイ、素晴らしい、どうしたら人が集まるのですか」など、それぞれについて感心していた。三峰山岳会について尋ねると、主として岩沢、雪山、ヤブ、スキー、縦走を愛好する人の集まりのようで、会員数 70 名、会費12,000 円 / 年、リーダー数 20 人前後、年間山行実施回数約 70 回、事務所・会誌はなく、山行はリーダーが計画しメーリングリスト上で広報、参加者を募集するとのこと。

5 月 31 日(木)4日目 天気:晴れ、時々曇り
行程:深仙小屋~石楠花岳~地蔵岳~涅槃岳~持経の宿~転法輪岳~行仙宿山小屋(泊)
歩行記録:①距離 19.4㎞②歩行時間 8:11 ③累計高度 (+) 3,141m ④同 ( ‐ ) 3,484m

 朝食はくずもち、ウインナー、ほうれん草、コーンスープを準備した。食欲は進まず無理して詰め込む。小屋を 5:00 に出発。いきなり大日岳の登りで足が重い。50m 程度の登りだがクサリ場もある。太古ノ辻に着いた。ここは吉野―熊野間の中間点であり、名前もここから「南奥駈道」に変わる。また、前鬼「小中坊」への分岐点でもある。行程中に体調不良など不測の事態が起きた時のエスケープルートとして考えていた地点だ。幸い2人とも多少疲れはあるが特段のものではなく、このまま熊野を目指す。

 小高い丘を登ると、シャクナゲ、シロヤシオ、アカヤシオが咲く林に入る。「石楠花岳」の標識がある。名前のとおりだ。ここから天狗岳、地蔵岳、涅槃岳など6つの山を越えて持経ノ宿にくだる。近辺の登山道標識、避難小屋は新宮市にあるヤマビコグループがボランティアで設置、メンテしているとのこと。持経の宿も同グループによって管理されている。小屋には寝具、トイレ、電気(ソーラー)ストーブ、薪も備えてある。一番ありがたかったのは、水が 10 個以上のポリタンクに汲み置かれていたこと。恐らく同グループが準備したもの。ありがたくペットボトルに注ぎ足した。持経ノ宿を後にして暫く緩やかな下りが続く、表面が茶色でつるつるの木を見かける。N に尋ねると「ヒメシャラだよ、表面が冷たくて気持ちがいいよ」という。頬を付けるとほんとに気持ちがいい。今日の宿舎、行仙宿山小屋までは3つの山を越える。木の根、ゴロゴロ石の長い急な坂を約 200m 下り、15:30 小屋に着いた。深仙小屋を出て 10 時間半だれにも会わなかった。Sは約1時間前に到着していた。この小屋も我々3人だけだ。山を趣味とする者同士3人は波長が合い助け合う(殆ど助けてもらったが……)。今日もSは早く着き、水場まで20 分下り我々の水まで汲んできてくれていた。この小屋もヤマビコグループによって管理されている。(協力金 2,000 円 / 人)夕食は N のメニュー;山菜おこわ、味噌汁、ホタテ貝柱水煮(缶詰)、海苔、お茶

地蔵岳、クサリ場

6月1日(金)5日目 天気:薄曇時々晴れ
行程:行仙宿~笠捨山~地蔵岳~香精山~花折塚~玉置山展望台~玉置神社(宿坊)
歩行記録:①距離 21.5㎞②歩行時間 7:01 ③累計高度 (+) 4,254m ④同 ( ‐ ) 4,353m

 4:00 起床、N メニューの朝食:カニ雑炊、パン、ミルク(粉末)、今日の宿泊は玉置神社宿坊を予約している。ただ、午後4時までに到着しなければならない。4日間歩き続けて疲労もある2人にとって「受付時間4時まで」はプレッシャーだ。Sは既に準備は終え 4:30 に出発した。今日は南奧駆道で最も厳しいと言われている笠捨山、地蔵岳から香精山を通過する。慌ただしく準備を整え 5:10 に出発する。暫くして 250 ~ 300 mの急登が始まる。木の根、柔らかい土、重い荷物が効いてくる。小屋を出る時にペットボトル1本分の水を飲んだのに、喉・口がカラカラになる。口から息を吸い、鼻から吐き少しでも水分のロスを押さえようとするが、さして効果はない。途中でNに貰った飴玉2つを両ほほに含む。しばらく歩くと何とも言えない甘いシロップが喉に流れる。さっきまでの喉・口の渇きも感じなくなっていた。大きな発見だった。偽ピークを幾つか越え 6:40 やっと笠捨山頂上に着いた。

 頂上からの眺めは雄大だ。歩いてきた方向 ( 北 )に八経ヶ岳が見える。その手前の尖った山は釈
迦ヶ岳だ。この山からの眺めがあまりにも良く行者が笠を捨てたことからそう呼ばれるようになっ
たとか。笠捨山から急降下する。岩場の尾根道を100m 下った所のコブに小さなお地蔵さんが祭ら
れ地蔵岳の標柱があった。地蔵岳からの下りは更に厳しくなり岩、木の根につかまりながら下りる。クサリ場が3か所、最後のクサリ場は 10m を超える高さだ。香精山を超えると杉林となり急な下りとゴロゴロ石道には変わりはないが比較的歩きやすくなってきた。13:30 玉置山展望台に着いた。宿坊受付時間には余裕がある。ゆっくり休む。後ろに今通ってきた笠捨山、地蔵岳がみえる。その左側遠くに釈迦ヶ岳も遠望できる。左下には蛇行して流れる十津川(新宮川)がある。玉置山はもうすぐだ。道は一部自動車道と交差する。白い車が近づいてきて、運転していた女性が「奧駆道!吉野からですか?ワースゴイ。私も行きたい!!」と話しかける。この辺りでは奧駆道を歩く人は珍しくないのではと思っていたが、同じようなことが吉野山でもあった。土産物屋のおばさん。ケーブルカーの係員、駐在所のお巡りさん、タクシーの運転手は一様に「スゴイですね。熊野までですか!長いから気を付けて!無理をしないで!!」と声をかけてくれた。年寄りの無謀を気遣っていたのかもしれないが……。

玉置神社出発前

 かつえ坂を上り玉置山に着いた。玉置神社は山頂にあるものと思っていたが、20 分下ったところ
だった。玉置神社は紀元前、崇神天皇が建てた日本最古の神社といわれている。先ず本殿にお参り
し「奧駆5日目も無事達成できた」ことに感謝した。宿坊の手続きをすませ、荷物を置き、はやる気持ちを押さえながら神社駐車場に急いだ。そこには歩行中、頭から離れなかった「玉置神社で冷たいビールと温かいうどん」を実現できる店があるはずだ。店のおじさんは我々の意図が分かるのか「はい、こちら、こちら」とテーブルを示しビールを出してくれた。「プファーッ、うまい!」一気に飲んでしまう。2缶目を飲んでいると「きつねうどん」が運ばれてきた。「うまい!」。材料はコンビニで売っているものと変わらないのに、時と場所によってこうも味覚は違うものなのか!おじさんは近くに住んでいて、いつもなら4時に店を閉めるが、奧駆け道を行く人がいると聞くと店を開けて待っているという。ハイカーにとってはありがたい人だ。

6月2日(土)6日目 天気:曇りのち小雨
行程:宿坊~大森山~五大尊岳~吹越岳~七越峠~熊野川渡渉点~大斉原~熊野本宮大社
歩行記録:①距離 20.7㎞②歩行時間 7:17 ③累計高度 (+) 2,260m ④同 ( ‐ ) 3,185m

 吉野山を出発して6日目、何とか最終日を迎えることができた。3人で玉置神社本殿にお参りす
る。5:50、Sは元気よく先に出かけた。我々もゆっくり後を追った。この日は大森山への長い登りと五大尊岳の急登を除けばアップダウンはあるものの基本的に長い下り道だ。大森山からは長くて急な下りが続く。順峰(熊野から吉野への道)のハイカーは難儀するだろう。切畑辻から五大尊岳までの急登 30 分はまさに息が切れた。頂上で大休憩、N は寝転がっている。大黒天神岳を過ぎ山在峠に差し掛かる。視界が開け、右手に大きく蛇行する熊野川がみえる。「ゴールはあと少し」と思ったがここからが長かった。

 2時間余りかけて吹越山、吹越峠などいくつものコブを超え、七越峠に着く。展望台からゆった
り流れる熊野川と川向うに大斉原(おおゆのはら)の森と大鳥居が見える。大斉原は川の中州で、もともと熊野本宮大社があったところだ。明治の大洪水で神社が流され、本宮は現在の場所に移された。14:10、熊野本宮大社前の熊野川河川敷に着いた。大峯奥駆道全踏破のフィナーレを演出する大斉原への渡渉だ。奥駆修験道には 75 の靡きと呼ばれる行場がある。吉野から熊野に向かう逆峰のスタートは近鉄吉野線六田駅近くの第 75 靡吉野川渡渉地点であり、そしてゴール前の第一靡きはここ熊野川の渡渉だ。修行を終えた行者は本宮大社にお参りする前に冷たい水で身と心を清める水垢離(みずごり)をするという。

大斉原を目指して渡渉

 先に到着したSは渡渉ポイントを探していた。水量はさして多いとは思えないが、各所に深みが見える。思わぬ足止めとなった。小雨の中、川淵を川上から川下まで砂利、大岩小岩を乗り越えて歩くこと約 30 分、やっと「ここなら」というポイントが見つかった。靴を脱ぎ水に入る。足の裏に砂利石を感じながら脛まである水の中をソロリソロリと渡り大斉原にたどり着く。旧本宮大社があった広大な広場を横切り、大鳥居をくぐり、15:30熊野本宮大社に到着した。本殿にお参りし、無事に大峰奧駆道全踏破できたことに感謝した。

5.おわりに

 後期高齢会員2人の大峯奥駈道全山踏破は何とか成し遂げられた。登山用 GPS アプリ、ジオグラ
フィカによる6日間の記録は、総歩行距離 110㎞、歩行時間 42 時間、累計高度(登り)16,682 m、同(下り)16,873m である。数値だけをみると高齢者には厳しいものだったが、2人とも笑顔でゴールできたのは、①健康状態がよく、チームワークも万全だったこと、②体力的な衰えを自覚し、身体的トラブルや天候不順に備えた3段階の計画が気持ちの余裕を生んだこと③何より天候に恵まれたこと――である。反省点としてはザックの軽量化が不十分だったこと。食糧はカロリー、栄養を考慮した必要最小限にすべきだったが、「足りないのでは」との気持ちに押され、4日分の朝・夕食、6日分の行動食で4㌔近くになっていた。山ではさほど食べず、また食べられなくもなって、半分は持ち帰った。何はともあれ、無事踏破できたこと、みろくの仲間に大峯奥駈道の魅力について報告できたこと、現地で三峰山岳会のSさんをはじめ、多くの人と親しく交流できたことに満足を感じている。