八王子城跡太鼓曲輪尾根(ヤブ)

一糸乱れず隊列組んで歩きます

山行情報

日時:2023/11/15 天候:曇り
ランク:B-B-5:30 参加:20名
山行担当:CL3561 SL3452, 3731, 3716
記録担当:文責:3731, 3716 写真:3155, 3331, 3890, 3716

コースタイム

高尾駅北口-宮の前BS…2008太鼓曲輪尾根登り口…第三堀切…太鼓曲輪ノ頭…熊笹山…富士見台…詰めの城…松木曲輪…八王子城山…御主殿曲輪…八王子城跡ガイダンス施設  行動時間:4時間35分

コースマップ

記録日:2023/11/15
合計距離: 7958 m
最高点の標高: 556 m
最低点の標高: 197 m

山行記

【八王子城跡太鼓曲輪尾根説明資料】

○八王子城(山城・天守なし、百名城、国史跡指定) 

小田原城(北条早雲)の支城。武田信玄との戦いの前線基地。北条氏照(早雲の曾孫)が築城(1587年頃、本拠を滝山城から八王子城に移した)。増築中に秀吉の「小田原攻め」で落城。堅固な守りとされていたが、家臣の寝返りであっけなく落城。豊臣側軍勢:上杉景勝、前田利家、真田昌幸落城時、氏照は小田原城に籠城(⇒切腹)。 

○曲輪(くるわ)  

城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称。千早城には多数の曲輪。本丸、二の丸、三の丸、出丸(真田丸)などの名前は江戸時代についた曲輪の名前。 

○太鼓曲輪(標高286m付近)~第一堀切と第二堀切の間 

上杉景勝の大軍勢に攻められ、歯が立たなかった。5カ所の堀切から切り出した石は、御主殿や山上部の「あご止め技法」の石垣に使用。第三堀切には切り出された石が残っている。 

○八王子城の曲輪~発掘は1977年以来継続中 

本丸エリアの西側の通過点に、西側防御と最後の拠点を兼ねた御天主等。 
本丸エリアから道順に松木曲輪(井戸、二の丸、前田利家攻撃)、山頂曲輪(本丸、標高460m)、中の曲輪(八王子神社)、小宮曲輪(狛犬、三の丸)、馬蹄段(階段状の小曲輪)、金子曲輪(金子丸の標識)、山下曲輪(寝返った家臣に最初に攻め込まれた)。 
下山後、御主殿曲輪(氏照執務、居所、高い石段=ブラタモリで紹介)。 

○時代

1584年:小牧長久手の戦い(秀吉vs.家康) 
1586年:家康が秀吉の家来に 
1587年頃:八王子城築城(氏照が城主に) 
1590年:小田原攻め(一夜城)&八王子城落城=小田原北条氏滅亡、家康江戸城へ 
1592年:第1回朝鮮出兵 
1598年:家康五大老 
1600年:秀吉没、関ヶ原 

参考資料

Wikipedia「八王子城」 
インターネット「ヒストリーランド」:「徳川家康」「豊臣秀吉」 
インターネット 八王子城の曲輪の数々 ~八王子城訪ね歩き (tazunearuki.info) 



【山行記】

天候も曇りながら雨の予報もなく、JR高尾駅から総勢20名でバスに分散乗車のうえ登山口まであっと言う間に移動する。登山口で、SLのOさんから八王子城跡太鼓曲輪尾根説明資料と【八王子コースマップ】による解説をうける。440年前に北条軍が守っていた八王子城に向け、われわれもいざ出陣

稜線の要所要所に、地形を生かして土木工事を施し、堀切という切り通しが残っている。この堀切は写真でもわかるように、結構な急斜面で注意が必要。でも参加者の皆さんは全員楽しそうにクリアしていく。皆さん健脚揃いだ。あっと言う間に富士見台に到着したが、残念ながら富士山は雲の中。本丸が落城したあと、最後の防衛拠点跡とされる「詰め城」を見学。石碑には天守閣跡となっているが諸説あるようだ。まさに強者どもが夢の跡である 

松木曲輪で昼食をゆっくり頂く。参加者のAさんが今日は傘寿の誕生日ということで、皆でお祝いをして記念撮影。みろくの80歳は皆さん元気です。 

八王子本丸跡、八王子神社を通過する。この八王子神社は「八王子市の名の由来」とのことである(牛頭天王と8人の王子を祀ったのが由来とか。知らなかった)。その後八王子城山と御主殿跡を経て八王子城跡ガイダンス施設で解散となる。

今回の山行は歴史と山歩きがセットされた、興味深い楽しい山行となった。このような山行は鎌倉や三浦地区でも多数開催されているので、今後とも是非参加したいと思った。 

【CL追記】 

三年前にこの山行に参加して、山を歩きながら歴史も学べるなんて面白い!と感じた。今回もSLのO氏の資料のおかげで、「堀切」?「曲輪」?なんて?だらけの参加者も、終わる頃には八王子城通になっていたかも。「山と歌」「山と温泉」など山と結びつくものはいろいろあるが、「山と歴史」もなかなか良いかもしれない。



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